日記:パズルのような人間関係とその解法「やがて君になる」完結によせて

やがて君になる」の8巻を読んだ。最終巻。8巻は、一冊のほとんどがエピローグという感じ。エピローグが長い話は好きだ。なんというか、エピローグというものは情報が断片的だからこそ、隙間に垣間見えるあらゆることが豊かに、輝いて見える。

このブログでも、「やがて君になる」については何度か言及してきたので、最終巻という一つの機会に、総まとめ的な記事を書いてみたいと思う。

もちろんネタバレはある。まず、2つのトピックに分けて全体の振り返りをしたあと、8巻の雑感について書いてみる。

 

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・パズルのような人間関係とその解法

自分のことを好きにならないから、小糸侑のことが好きな七海燈子。

誰も好きにならなかったはずなのに、七海燈子に惹かれていく小糸侑。

しかし、小糸侑が七海燈子を好きになってしまったら。

七海燈子は、自分のことを好きにならないからこそ、小糸侑のことが好きであるはずなのに。

これがこの作品の中心的な構図であり、私はこれを心の中でずっと「パズルのような人間関係」と呼んでいた。これについては、リズと青い鳥と比較する形で、過去にも言及している。

日記:噛み合わない歯車の回転について(百合と「リズと青い鳥」に関するメモ) - しゆろぐ

さて、この噛み合わないようで噛み合っている、噛み合っているからこそねじれてゆく「パズルのような人間関係」には2種類の解法がある。

1つは、パズルをパズルとしたまま、理詰めで解決するやり方だ。

もう1つは、パズルのような構図がまやかしであると明かしてしまうやり方だ。

この作品はどちらかと言えば、後者の解法を採用している。

そもそも序盤で七海燈子のことを特別に思っている訳ではなかったはずの小糸侑が、いつしか七海燈子に惹かれていったように、人間は「設定」に規定された通りには動かない。それと同じで、「自分のことを好きにならないから、小糸侑のことが好きな七海燈子」という構図も、あくまである時点のものでしかない。

よって、パズルのように見える構図はそもそもまやかしであり、それは頭をひねることで解決されるのではなく、小糸侑と七海燈子の間に物語が積み重ねられることで解決される。少しずつ。七海燈子の姉に関する問題が生徒会劇で回収されるという派手なものばかりではなく。

 

しかしながら一応、七海燈子が「自分を好きにならない人が好き。『好き』が怖い」と考える問題については一定の解法が与えられてもいる。6巻のラストで具体的に提示されたある種の難題を振り返ってみよう。

「好き」が怖い。「こういうあなたが好き」って「こうじゃなくなったら好きじゃなくなる」ってことでしょ?

やがて君になる』(6)p.170

これは、私の魂の1冊である百合小説『君が僕を』2巻でも提示された問いに似ている。誰かを好きになるとか、そういうことについてややこしいことを考えてみたことがある人なら誰でも思いつく問いだと思う。『君が僕を』2巻のあとがきにはこんなことが書かれている。

皆様の経験上、あるいは想像の及ぶかぎりで、恋人から一番聞かれたくない質問はなんですか?

私の場合は、「私のどこが好き?」です。

どこそこが好き、と答えたとしましょう。目が好きとか、優しいところが好きとか。すると相手は、「そうじゃなくなったら、もう好きじゃなくなる?」「そういう人なら誰でもいい?」と訊いてきます。恋人同士の会話が、たちまち哲学の購読に早変わりです。

『君が僕を』(2)p.225

上でパズルの解法として、理詰めで解決する方法と、パズル自体がまやかしであるとする方法を書いた。『君が僕を』は気持ち悪いほど徹底的に、理詰めで「私のどこが好き?」を解決している作品で、それはそれで面白いが、現実的じゃない。理詰めで、反論を許さない形で「私のどこが好き?」を解決しようとするのはそもそも正気ではない。

(しかしながら、『君が僕を』は反論を許さない答えを提示する絵藤真名というキャラクター含めてめちゃくちゃ面白い作品なので、興味のある人は読んでみて下さい)

君が僕を 4 (ガガガ文庫)

 

佐伯沙弥香はこう答える。「好き」とはどういうものか、私が変わっても、あなたは私を好きでいてくれるのかと訊かれて、どんな風に変わっても好きとは言えないけど、きっとそんな風には変わらないだろうという信頼が「好き」なのだと言う。

あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう

信頼の言葉かな

やがて君になる』(7)p.112

小糸侑はこう答える。小糸侑は、好きじゃなくなるとかそういう話ではなく、そういう決断をしたのだ、と語ってみせる。

先輩がたくさん好きって言ってくれたから選べたんです

わたしは 先輩がわたしの特別だって決めました

やがて君になる』(8)p.27

いずれも、反論を許さないような、徹底的な解答ではない。しかしながら、誠実な回答であり、佐伯沙弥香と七海燈子、小糸侑と七海燈子の間にある積み重ねを正しく反映した解答だと思う。

また、8巻の小糸侑と七海燈子の場面に関しては、最後は小糸侑の言葉で閉められているものの、七海燈子自身の持つ難題を、七海燈子自身が否定するところから始まるというのがとてもいいと私は思っている。

 

・過去に規定される人物像/過去に規定されない人物像

他にこの作品を読んでいて、印象的だったのは、過去に規定される七海燈子と必ずしもそうではない小糸侑の対比だ。

過去にある種のトラウマを抱えていて、その過去によって一定のキャラクターを付与されているというのは、いかにもキャラクター的な造形だと思う。

(個人的には、美少女ゲームのヒロインを連想するけど、別にそういう媒体に限らず、そのようなキャラクター造形はそれなりにあるだろう)

恋愛物語において、こういうキャラクターの重大な過去が解決されることと恋愛の結実が同一視されることもある。

やがて君になる」はそういう方向性を採らず、むしろ過去が解決されることによって七海燈子との(小糸侑から見て)距離が開いたような描き方がなされていた。

七海先輩はもうわたしがいなくてもきっと大丈夫だね

やがて君になる』(6)p.106

その点も含めて、重大な過去を持つキャラクターの取り扱いが面白い作品だったと思う。

 

一方、小糸侑は何らかの過去に規定されるタイプのキャラクターではない。

もちろん過去が存在しない訳ではなくて、様々な過去があって、今がある。

私は昔、七海燈子をわかりやすい過去を持つ点でキャラクターのようだと思い、小糸侑を人間だと思っていた。それはまちがいで七海燈子だってれっきとした人間なのだけど、それはそれとして「今」の中でもがき、七海燈子と向き合う小糸侑を好ましく思っていた。

中でも、4巻のラスト、先輩を変えたいと決意するくだりは本当に最高だった。今まで特別な気持ちを抱いてこなかった小糸侑が、初めて強い自分の意志を見せ、自分の傲慢でもいいから、わがままでもいいからあの人を変えたいと決意する。

私はこのシーンが本当に好きで、『やがて君になる』で一番読み返したのは4巻のラストだった。

何の話かわからなくなってしまったが、そんな感じ。

 

・その他8巻雑感 

・扉絵。ランプを持って進む二人。この絵は、船路のイメージにつながっている。

「海図は白紙」「船路」8巻では、海や舟というモチーフが、小糸侑と七海燈子の旅路を祝福する。

七『海』『燈』子。

・44話。インターホンの前で緊張している小糸かわいい。

・関係に名前をつけたくないという七海。「侑と私」でいいと言う。

そのくだりで、こんな詩の一節を思い出した。

わたしがかみさまなら、あなたとのこの関係性にあたらしく名前を付けて、友でも恋人でもなく、あなたの名前をつけていた。 

「絆未満の関係性について」より/最果タヒ 『死んでしまう系のぼくらに』p.18

 それだけ。

・「夜と朝」の朝の、呆れたような小糸の「なにそれ」素晴らしい。

・ショートの小糸本当に素晴らしい。

・堂島には言ってないのわかる

・大人になった槙!?

・佐伯沙弥香が恋人に関する情報を七海燈子には話さず小糸侑にしか話してないの、解釈一致!!!

・小糸侑にとっての恋のモチーフ。星。宇宙。

1話「わたしは星に届かない」、4話「まだ大気圏」、18話「昼の星」、22話「気が付けば息もできない」七海燈子からプレゼントされたプラネタリウム

星のうつる水面は、重なってゆく小糸侑の物語と七海燈子の物語を意味しているのかもしれない。

・カラー絵。ショートの小糸はカラーでも本当に素晴らしい。

 

本当は、もっと書きたいこと、書くべきことはあるように思う。

でも、それだと一生書き終えられないような気がするので、とりあえずこんなところで。

やがて君になる、とても面白い作品でした。楽しめました。

 

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