日記:「ハサミ男」

ハサミ男を読みました。

連続殺人鬼のターゲットになっていた少女が、連続殺人鬼の模倣犯に殺され、当の連続殺人鬼が推理を始めるという一風変わった話です。そんな話ですが、連続殺人鬼視点の文章だからといって、過度に支離滅裂な、いかにも「シリアルキラー」って感じの描写でもなかったです。まぁ報道に関するくだりにちょっと時代を感じるな~~みたいな気持ちもありましたが。

ミステリ小説って「謎の解明の部分が面白いからそこまでは我慢して読んで」なんて言われることもありますが、この作品は割と最初から最後までサスペンスとしても面白く読めました。

以下、ネタバレありの感想です。

 

正直言うと、叙述トリックがあるということだけは知ってしまった上で読みました。

全体の感想としては、割と社会派というか、単にトリックだけが魅力という感じの話ではなく、トリックを組み込む形で一つのテーマに迫った作品かもしれないと感じました。
被害者がどんな人間だったのか。ハサミ男はどんな人間なのか。シリアルキラーの心理とは。
人が人についてあれこれ想像をめぐらせることの悪さというか、どうしようもなさというか、届かなさとか、そういうことについて描き出している側面がある作品なのかなーとか。

 

次、性別誤認トリックについて。性別誤認トリックについて個人的には前々からちょっと嫌だなーと思っていて、それは何故かというと、性別誤認トリックって(言葉では多様性うんぬんと言いながら)「実は同性同士のカップルだった」ということをびっくり要素として使ったり、逆に性別誤認トリックを使って男女恋愛を引き立たせたり、そういう風に性別誤認トリックはステレオタイプを利用する形になってしまうので、そういうの古くない?という気持ちが割とありました。
(古いというのはご時世がどうこうと言いたいだけでもなくて、いつまでそれをびっくり要素として扱うつもり?今更?ということ)
でもこの作品は、けっこう前の作品であるにも拘わらず、そういうタイプの嫌さはあんまり感じなかったです。上で書いたように他者に対して想像をめぐらせることのあれこれを描いている作品なので、「ハサミ男と名付けられたシリアルキラーが女性だった」というのは「実は女だった」ということが単なるびっくり要素にはなっていません。シリアルキラーの犯罪心理をはかろうとする世間が、そもそも性別のわからない殺人鬼に「ハサミ男」と名付けていた。これは、上で語ったような作品のテーマにつながるもので、性別誤認トリックを巧みに使った作劇と言えるんじゃないかと思います。

 

叙述トリックがあると知ってしまっていたのもあって、性別誤認トリックについては途中で薄々そうなのかなーと思いながら読んでいました。タイトルにハサミ男とあるにも拘わらず「わたし」が男性であるような明示的な描写がないこと、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(男性名で発表していた女性SF作家)の名前があがっていたこと、第一発見者が男と女でありダウン・ジャケットの描写は男性側だけにあったことなどもヒントだったのかなーと思います。

 

性別誤認トリックよりも周到だな~と思ったのは警察が真犯人を追い詰める過程に関する伏線で、こっちにはすっかり騙されてしまいました。

何より、警察が単なる噛ませ犬ではなかったのが良かったです。「警察の描写をこんなに長々と書いて警察が噛ませ犬だったら許さないからな!」と思いながら読んでいたので。ハサミ男模倣犯の凶器の違いに至ることができたシーンも、警察らしい捜査で真相に迫っていて、わくわくしました。

もっとも本物のハサミ男を取り逃がしてしまうわけですが、それに関しては今回の事件の犯人ではないので仕方ないんじゃないかと思います。今回登場している目黒西署のメンバーが捜査にあたっていたのは、あくまで今回の事件ですから。

あと、全体的に1999年の作品っぽい雰囲気が漂っていました。なんかそういうのもステレオタイプじゃん、とは思いつつ。