日記:噛み合わない歯車の回転について(百合と「リズと青い鳥」に関するメモ)

1.注意事項

この記事は、全面的に映画リズと青い鳥ネタバレを含みます。

また2018年アニメ化予定の漫画「やがて君になる」の設定についてもがっつり語っていますが、これについては未読の方にも配慮しております。

2004年の映画「花とアリス」、2004年から2013年まで連載していた漫画「青い花」等にも言及しますが、作品の根幹に関するネタバレはありません。

内容としては「リズと青い鳥」を百合というジャンルのなかの一作として位置付けるとすれば、どういう見方があるかということを語りたい、みたいな感じです。

 以上の内容についてご理解いただけた方のみお読みください。

 

このメモでは、2節3節で「リズと青い鳥」と「やがて君になる」で描かれている関係性の抽象的なレベルでの共通項について指摘し、4節でそれが百合という作品群においてどういう意味を持っているのかをふわっと考える。その後、5節で「リズと青い鳥」に戻って、ぐだぐだ考えていく。

 

 

2. 「リズと青い鳥」における傘木希美と鎧塚みぞれの関係性

リズと青い鳥」における傘木希美と鎧塚みぞれの関係を一言であらわすなら、歪みを孕みながらも安定した関係、みたいな感じになると思う。

化学室でのシーンからもわかる通り、傘木希美が鎧塚みぞれに抱いている感情と、鎧塚みぞれが傘木希美に抱いている感情はすれちがっている。そのすれ違った感情を抱えたまま、毎朝二人で登校し、言葉もなく同じ時間を共有し、他の人から見れば「仲がいい」2人であり、ある種の安定がそこにある。しかしながら、根幹に根差した感情はどうしようもなくすれ違っている。

それが「リズと青い鳥」冒頭における二人の関係であり、そして「リズと青い鳥」の結末における二人の関係でもある。私はこれを、まるで噛み合わないにもかかわらず、なぜかうまく回り続けてしまっている歯車のようだ、と感じる。

 

では、「リズと青い鳥」という作品が二人の関係のどういう部分を描いているかと言えば、安定していた関係が不安定な面を隠し切れなくなっていく様子を描いている。噛み合わないなりに安定していたはずの歯車の回転が、悲鳴のような軋みを上げ始めるのが、作中中盤の物語の展開になっている。

この作品の偉大なところは、不安定な部分を解決するのではなく、それを受け入れた上で、歯車がまた回りだすという結末を採用しているところにある。冒頭と結末で違うのは、二人が自分たちの噛み合わなさを理解して、受け入れていること。単なる決別でもなく、単なる和解でもなく、決別のような和解あるいは和解のような決別を描いている点で絶妙な人間関係の機微をとらえていると言えるだろう。

 

3.「やがて君になる」における小糸侑と七海燈子の関係性

リズと青い鳥」で描かれている噛み合わない歯車の安定した回転を描いた百合漫画として「やがて君になる」が存在する。

読んでいない人向けに簡単なあらすじを説明する。

主人公・小糸侑は恋をしたことがない、人を特別に思えない少女。一方、彼女が偶然知り合った生徒会役員の先輩・七海燈子はいろんな人に好かれるけれど、自分のことを特別に思えないから、恋ができない。しかし、先輩・七海燈子は誰のことも特別に思わない主人公・小糸侑にある種の安心感を抱き、果ては自分のことを好きにならない小糸侑に恋をし始める。

ここまでは、不安定さを持たない安定した関係を描いているが、ここからすこし様子がおかしくなってくる。よくわからない秘密の関係を続けていくうちに、小糸侑はすこしだけ七海燈子に心を許し始めるのだが、燈子の感情は「自分を好きにならないあなたが好き」であるから、侑は、自分にとって燈子が特別になっていることを隠すことで、現状の関係を維持しようとし始める。

お互いにとってお互いが重大な存在でありながら、どうしようもない歪みを孕んでいて、しかしそれが表面化しない以上は安定した関係として機能する。細部においてはまったく異なる物語ではあるものの、「やがて君になる」も抽象的なレベルで「リズと青い鳥」と似た構造の関係性を描いた作品だと思う。

やがて君になる」はまだ完結していない作品で、私も単行本化されている内容までしかわからないので歪みを抱えた人間関係についてどう結論を出すかわからないが、きっと面白いことになると考えている。読みましょう。

 

4.百合と噛み合わない歯車の回転

ここまで「リズと青い鳥」と「やがて君になる」が、「歪みを孕んでいるがそれが表面化しない限りは安定した関係性」つまりは「噛み合わない歯車が回り続ける様子」を描いているという点で似ているということを見た。これは精密で現代的な百合作品が描くものとして、必然的に導かれる関係性の一つなのではないかと思う。

百合を恋愛物語としてみるならば、恋愛物語のバリエーションは当然ながら百合作品のバリエーションとして機能する。結ばれる過程を描くもの。別れる過程を描くもの。三角関係のように、人間が入り乱れた状態で結ばれたり別れたりする過程を描くもの。既に安定した関係を描くもの。いろいろある。しかし、一定の長さをそなえた百合作品が持っている一つの特徴として、「どの二人の関係を描くか」ということが明示される、というものがある。なぜかは知らない。が、そういう傾向がたぶんある。漫画的な恋愛物語にありがちな、二人以上のイケメン(もしくは美少女)の間で揺れ動く主人公、みたいな構図は百合においては成立しにくいらしい。

さて、特定の二人の関係が描かれることがわかった上で、その関係を描く物語を「面白くする」あるいは「先の展開を読めなくする」もしくは「予定調和にしない」ためにはどういう工夫が適切だろう。私はこれに対する一つの解決として、「歪みを孕んでいるがそれが表面化しない限りは安定した関係性」があるのではないかと考えている。既に二人が一定の関係を持っており、そこで提示されている関係が十分鑑賞に堪えうるものである。その上で二人の関係が孕んでいる歪みがサスペンス的に機能する。「リズと青い鳥」であれば音大に行くと言い出した傘木希美の軽い言葉に、鎧塚みぞれが目を輝かせながら私も行くと言い出すくだりが怖い。みぞれのきらきらとした表情に反して、希美の表情を見せないという見せ方が歪みが表面化しつつある様を描き出している。「やがて君になる」3巻86ページも、二人の関係が持った歪みが表面化するシーンだが、ここにも一種サスペンス的な面白みがある。

また既に一定の関係を持っているからこそ、その関係性の変化あるいは維持を描くことで、深い部分で百合を描くことにつながっていくのではないかとなんとなく思う。

※もちろん近年の百合作品にはさまざまなバリエーションがあり、これがすべてではない。例えば、「私と彼女のお泊まり映画」は既に安定しつつある関係を描いている。その上で日常の中でちょっとした非日常に触れる習慣として映画鑑賞を通じて二人の関係を楽しむというスタイルを取っている。まぁ百合は無限の可能性に満ちているということです。

 

5.再び「リズと青い鳥」について

前述のように、「リズと青い鳥」が出した結論はある意味で、噛み合わない自分たちの関係を肯定する。「ありがとう?→なんで疑問形なの?」という同じやりとりが冒頭と結末に配置されているのは示唆的である。漫画「青い花」における「ふみちゃんはすぐ泣くんだから」という言葉が十年の壁を飛び越えて過去と現在をつなげるように、「ありがとう?→なんで疑問形なの?」というやりとりは歪みが表面化する以前と以後の時間をつなげて地続きにする。

ただし、それは二人の関係が歪みが表面化した非日常から歪みが表面化する以前の日常に回帰したことを意味しない。例えば映画「花とアリス」は序盤で春の登校の様子を描き、ラストシーンでもう一度登校の様子を描いている。これは作中で描かれる非日常的な事件の後に「通学」という循環的な日常に回帰していくことを意味する。一方、「リズと青い鳥」においては冒頭の登校シーンと対応するような下校シーンが描かれて物語が終わる。日常への回帰をイメージさせるなら、冒頭と対応するような登校シーンが描かれるべきで、終始学校の中で展開していた物語が下校によって幕を閉じるのは、学校から出て行ってそれぞれの進路に向かっていく希美とみぞれを意識しているのだろう。

このメモにおいては、「歪みを抱えながら安定した関係」というものに注目して、「リズと青い鳥」と百合について考えてみたが、再び「リズと青い鳥」に戻ってみると、この作品がさまざまな矛盾を描いていることに気づく。「歪みを抱えながら安定した関係」もそう。冒頭と結末を似せることで関係性の修復を描きながら、登校と下校の対比でこの先の変化を意味する演出もそう。和解でありながら決別のようでもあり、決別のようで和解のようでもある関係性に関する結論もそう。こんなにも矛盾を抱えているのに、ぐちゃぐちゃにはならず、とても綺麗な映像作品として「リズと青い鳥」は成立している。

リズと青い鳥」が描くものは決してわかりやすくなく、複雑で、私なんかは映画を鑑賞した直後にどんな言葉で思ったことを言えばいいかさっぱりわからなかった。そういう言葉にしてみれば複雑で矛盾したように見える関係を映像という形できれいに消化している点こそが、「リズと青い鳥」の強みなのだろう。

そういう意味で、このメモは「リズと青い鳥」という映像作品について何一つ語っていないが、一時期百合というジャンルにはまっていた人間のものの見方を一応書き残しておいた。