日記:「さよならオルタ」
各短編に作者のコメントがついているので、アンソロジー等で既に読んだことがあるという人も、購入して損はないと思います。
優しさとの距離/薄情?
作者のコメントの中で、読後までずっと引っかかっている言葉が、書下ろし短編の「優しくなりたい」に対するコメントの中の一文です。
私も薄情な人間なので優しくなりたいです。
短編集全体を通じて、薄情という言葉がどうにも引っかかりました。
ストレートに薄情な人間を描いた短編としては、泣き虫だったちーこが人間の「悲しい」という感情を食べて育つ寄生虫に「悲しい」という感情を食べられて悲しみを感じられなくなる「なみだ風味エスカルゴ」があります。どうもそのエスカルゴを食べれば性格は元に戻るらしい。友人である泉は、泣き虫でも優しいちーこに戻ってほしいと思うけど、ちーこは泣き虫に戻りたくない。
薄情とは別ですが、優しさを掘り下げた別の短編としては「幸せは傷のかたち」等もあると思います。(そういう意味では、「勇者は三回世界を救う」も似た面があるかも)
仲谷鳰は「優しさ」を素直に称揚する作家ではたぶんなくて、自分を薄情だと言う人でもある。(実際に本人が薄情かはともかくとして)
しかしながら、「優しさ」に近づきたい気持ちであったり、「優しさ」から距離を取ったところにある感情を抉り出すことで、そういう人だからこそ持ち得る何かを描くことができる作家なのかもしれない、とこの短編集を読んで思いました。そういう意味では、恋がわからないけれど恋に近づきたいと思っていた小糸侑を描く「やがて君になる」と割と地続きの短編集なのかもしれません。
あふれるかわいさ
上ではなんかシリアスな話をしましたが、可愛い要素がたくさんあります。いや可愛いというのも真剣な話ですし、「やがて君になる」も無論可愛い要素がたくさんあったのですが……。
個人的に好きなのは、「いつだって横顔」の紗希が何を着ていくか迷うコマ、「こみみけーしょん」の全て、「わたしカスタムメイド」で「先生」が好みについて指摘されて「うるさいな」って言っているコマ、「優しくなりたい」の男の子の所作すべてですね。特に「優しくなりたい」の男の子、仲谷鳰先生のデザインした男の子では一番好きかも……可愛い……。
以下ネタバレっ
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メモ:令和にもなって杏さやの話(魔法少女まどか☆マギカにおける高低差とか)
下の画像は魔法少女まどか☆マギカ*18話のラストシーンです。
私はこのシーンが好きなのですが、この記事では、このシーンが何故良いと感じるのか、それを自分なりに言語化してみたいと思います。当然ながら、魔法少女まどか☆マギカ全体へのネタバレを含みます。
キーワードは高低差です。
関係ないですが、去年書いたひだまりスケッチの記事もよろしく。
メモ:部屋と立ち位置とか距離とかの話 (ひだまりスケッチ×365) - しゆろぐ
*1:『魔法少女まどか☆マギカ』2011,原作:Magica Quartet,監督:新房昭之,制作:Madoka Partners・毎日放送,アニメーション制作:シャフト
日記:公園をめぐる
ずっと前、Kanonというゲームをプレイしたとき、主人公たちがデートに行くと言って、ふだん日用品を買っている商店街やちょっと遠くにある公園に向かう様子を見て、なんて世界が狭いんだと窮屈に感じた覚えがある*1。
新しい場所を出す為に背景が必要なゲームだから場所をあんまり増やせないという事情のせいかもしれないし、どちらかと言えば大きい町が舞台ではないことに由来するのかもしれないし、はたまた高校生くらいのデートはそんなものなのかもしれない。(私はろくにデートをしたことがないからよくわからない。)
しかしながら、じゃあどこまで行ければ世界が広いのか、窮屈ではないのかということを考えてみると、よくわからない。東京に行ければ世界は広いのか。海外旅行に行けたら世界は広いのか。そう考えると、自分が持っている世界がひどく窮屈な気がしてくる。米津玄師の歌詞だったか、「どこにも行けない」という歌詞がやたら出てくるみたいな話を取り上げている記事があった気がする。「どこにも行けない」気分とは、こういう窮屈感を指すのだろうか。
どこかに行けるということはどういうことなのだろう。
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日記:「さよなら神様」
以前読んだ「神様ゲーム」の一応の続編。 一応の、というのは、神様である鈴木を除いて、他のキャラクターは引き継がれていないから。個人的には本作の方が好みだったな。
何やら特殊な力を持っていることは確かな自称神様の鈴木と、彼のことを疑いながらも彼に頼って真実を知ろうとする語り部・桑町淳による小学校を舞台にした短編集。
小学生にしては賢すぎるだろ!と言いたくなるような台詞やモノローグの本作ですが、ジュブナイルをやろうとしていた前作よりはこっちの方が好み。第一、大人が思うより、子供はしっかり考えているものです。少なくとも、自分ではしっかり考えていると思っているものです。
麻耶雄嵩の実験室のような短編集
「神様ゲーム」は長編小説の体裁を取っていたけど、「さよなら神様」は連作短編集。それぞれの短編で登場人物こそ継続しているが、各短編ごとにひとつの事件が起きるという形の作品になっています。そして、この短編集のコンセプトは「一行目で神様から犯人の名前だけを告げられる」という点にあり、「一行目で犯人を指摘しているからこそ可能になる(もしくは許される)(あるいはやっぱり許されない)ミステリ短編」が目まぐるしく次々に提示される点が面白いです。さながら、麻耶雄嵩の実験室の実験風景を眺めているかのような気分になる短編集でした。犯人の名前は教えてくれても、証拠や事件の経緯を教えてくれる訳ではないのが嫌らしい神様です。
個人的に好きなのは、「アリバイくずし」と「バレンタイン昔語り」かなぁ。
知るべきではない解答/それでも知りたくなる泥沼
また、この作品の魅力はなんといっても、自称神様である鈴木のことを疑っていながら、また犯人の名前を知ることで何度も苦しむことになりながら、それでも桑町淳が鈴木に答えを聞いてしまう様子、そして桑町淳がどんどん泥沼の中に落ちてしまう様子でしょう。人が破滅に向かってゆく有様というのは、一種官能的ですらあります。
とはいえ、それでも桑町が鈴木に頼ってしまうのは何故かと言えば、桑町をめぐる状況がどんどん悪化しているからというのもあります。一見、真実だけを告げる鈴木が悪いようにも見えますが(鈴木が悪いとしか言えないような事件もありましたが)、解答を知らなければ本当にそれでよかったのかと言えば、それもまた疑問です。
この作品のラストの(ある意味)破壊力満点の文章については、色々なところで強い印象を持たれているようですが、「(悪夢のような)解答を知るべきなのか、知らないべきなのか」という問いかけに対する一定の見方を示したものと言ってもいいのかもしれません。一定の見方、としか言えないところが、この作品の嫌らしいところではありますが。
以下ネタバレ
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日記:好きな短歌・和歌50首
短歌について日々なにかを考えている知人がこんな記事を書いていた。
いい短歌ってなんだろう。ぼくの中でこたえが出てないのだけど、今日はとりあえず「どれだけ人の短歌覚えてるか」思い出せるだけ思い出してみた。なんとなく次のルールになってます。
・ひとり2首まで
・暗唱できても好きじゃないのはパス
・順番はシャッフル
私も似たようなことをしてみたいと思ったが、私には暗唱できる歌はほとんどなく、せいぜい、西行の一首と和泉式部の一首くらいのものなので、同様の記事は書けない。
(暗唱できる好きな和歌2首になってしまう)
また、現代短歌だけで50首にはならなかったので、和歌も何もかもごちゃ混ぜになっている。
(ちなみに、完全に感覚で読んでいるので、そもそも短歌と和歌の違いがあまりわかっていない)
今の気分とか、知っている人だとか、そういう補正も大いにかかっていると思う。
そんな感じで、それでもよければ50首選んでみたので、どうぞ。
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日記:「時計館の殺人」感想編
前に更新した推理編に続いて、最後まで読んだので感想編です。
前回は既読者向けでしたが、この記事はネタバレなしの感想パートとネタバレありの感想パートに分かれています。
館シリーズだと、十角館はブログに感想を書き始める前に読んだのですが、水車館~人形館までは感想を書いています。
館シリーズの一つの集大成
館シリーズは「時計館」以降も続いていく訳ですが、時計館は一つの集大成だなぁという感じがしました。十角館の「孤島」と「孤島の外」で同時進行していく物語を思い出すような、「旧館」と「新館(外)」で同時進行していく物語は言わずもがな。
ネタバレになる点は伏せますが、水車館・迷路館・人形館のエッセンスも存分に受け継いで、これぞ「館」シリーズという印象がありました。
なんといっても、「館」そのものがこの上なく魅力的に演出されています。時計を意識してデザインされているだけでなく、中には108個の時計の時計のコレクション。10年前に亡くなったと言われる少女の亡霊……。
私はミステリに詳しくなく、館シリーズを読むまでは、オカルティックな要素は事件の目くらましやうわべの演出として使われることが多いのかなと思っていました。
しかしながら、館シリーズ、特にこの「時計館」では、「論理によって真相が暴かれることによって立ち現れる悪夢」の魅力が凄まじく、一見コテコテの設定が単にコテコテな舞台装置に終始するのではなく、むしろ作品の中心的な魅力として機能しています。その上で、「時計館」には推理小説としてはむしろ王道の真剣勝負と言えるようなトリックが仕掛けられています。
「時計館の殺人」は、本格推理小説と幻想小説がこの上なく美しく融合した作品と言えるのではないでしょうか。
本格推理小説を推理してみて
冒頭にリンクを貼ったのですが、「時計館」が物凄いらしいとは前々から聞いていて、せっかくなので今回私は「時計館の殺人」を真面目に謎解きしてみてから解決編を読もうと思いました。
(今までも、アリバイや証拠品の整理くらいはしていたのですが、本にびっしり付箋を貼って、細かい記述を読み直したりしたのは今回が初めてです)
ちゃんと推理してから解決編を読むと、自分の考えの中で騙し騙しであったりごまかしていた部分が明晰に解決されるので、本格推理小説の凄みというものを改めて実感できたと思います。
一方、作品の中心となる大仕掛けについては、(もちろん証拠とかは抑えつつ、)何も考えずに読んで「そういうことだったのかー」と驚けた方が楽しいのかなーとも思ったり。どうなんだろう……。
でも、完全に何も考えずに読むと、最終的な解決の何が凄いのか本当の意味ではわからなくなってしまうこともあると思うんですよね。ある程度考えて、「どうやってこれを突破するのか、考えても考えてもわからない!」ってなった状態で解決編を読めると一番楽しい。
ミステリを読む上で、何も知らずに読めるのは一回だけなので、どう読むのが一番楽しいのかはもうちょっと考えてみたいです。
以下、「時計館の殺人」のネタバレがあります。
また、「十角館」「水車館」「迷路館」「人形館」に関しても一部ネタバレを含むので注意してください。
画像として新装改訂版の「時計館の殺人・下」を貼り付けていますがが、実際に読んだのは一冊で終わる旧バージョンの文庫版です。
続きを読む日記:「時計館の殺人」推理編
「人形館」に続いて、「時計館の殺人」を読んでいる。
個人的に、水車館以降の館シリーズは「時計館」をひとまずの目標として読んでいたところがある。ミステリとしては、割とストレートな内容とも聞いている。
そんな訳で、ちゃんと推理をしてから解決編を読みたいと思い、いったん自分の推理をまとめてみることにした。
画像として新装改訂版の「時計館の殺人・上」を貼り付けているが、実際に読んでいるのは一冊で終わる旧バージョンの文庫版になっている。
どこから解決編になっているかはわからないので、ひとまず「第十三章 ≪旧館≫その6」までを読んだ時点の推理を書き残しておく。タイトルの法則性がここまででいったん終わっているので、ここから解決編が始まるのかな、という感じ。
以下、ネタバレあり。ネタバレしかない。既読者向けです。
私は第十三章までしか読んでないですが、私の推理が当たっていた場合は結末で全部ネタバレになっています。注意!!!!!!!!
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