日記:「時計館の殺人」感想編
前に更新した推理編に続いて、最後まで読んだので感想編です。
前回は既読者向けでしたが、この記事はネタバレなしの感想パートとネタバレありの感想パートに分かれています。
館シリーズだと、十角館はブログに感想を書き始める前に読んだのですが、水車館~人形館までは感想を書いています。
館シリーズの一つの集大成
館シリーズは「時計館」以降も続いていく訳ですが、時計館は一つの集大成だなぁという感じがしました。十角館の「孤島」と「孤島の外」で同時進行していく物語を思い出すような、「旧館」と「新館(外)」で同時進行していく物語は言わずもがな。
ネタバレになる点は伏せますが、水車館・迷路館・人形館のエッセンスも存分に受け継いで、これぞ「館」シリーズという印象がありました。
なんといっても、「館」そのものがこの上なく魅力的に演出されています。時計を意識してデザインされているだけでなく、中には108個の時計の時計のコレクション。10年前に亡くなったと言われる少女の亡霊……。
私はミステリに詳しくなく、館シリーズを読むまでは、オカルティックな要素は事件の目くらましやうわべの演出として使われることが多いのかなと思っていました。
しかしながら、館シリーズ、特にこの「時計館」では、「論理によって真相が暴かれることによって立ち現れる悪夢」の魅力が凄まじく、一見コテコテの設定が単にコテコテな舞台装置に終始するのではなく、むしろ作品の中心的な魅力として機能しています。その上で、「時計館」には推理小説としてはむしろ王道の真剣勝負と言えるようなトリックが仕掛けられています。
「時計館の殺人」は、本格推理小説と幻想小説がこの上なく美しく融合した作品と言えるのではないでしょうか。
本格推理小説を推理してみて
冒頭にリンクを貼ったのですが、「時計館」が物凄いらしいとは前々から聞いていて、せっかくなので今回私は「時計館の殺人」を真面目に謎解きしてみてから解決編を読もうと思いました。
(今までも、アリバイや証拠品の整理くらいはしていたのですが、本にびっしり付箋を貼って、細かい記述を読み直したりしたのは今回が初めてです)
ちゃんと推理してから解決編を読むと、自分の考えの中で騙し騙しであったりごまかしていた部分が明晰に解決されるので、本格推理小説の凄みというものを改めて実感できたと思います。
一方、作品の中心となる大仕掛けについては、(もちろん証拠とかは抑えつつ、)何も考えずに読んで「そういうことだったのかー」と驚けた方が楽しいのかなーとも思ったり。どうなんだろう……。
でも、完全に何も考えずに読むと、最終的な解決の何が凄いのか本当の意味ではわからなくなってしまうこともあると思うんですよね。ある程度考えて、「どうやってこれを突破するのか、考えても考えてもわからない!」ってなった状態で解決編を読めると一番楽しい。
ミステリを読む上で、何も知らずに読めるのは一回だけなので、どう読むのが一番楽しいのかはもうちょっと考えてみたいです。
以下、「時計館の殺人」のネタバレがあります。
また、「十角館」「水車館」「迷路館」「人形館」に関しても一部ネタバレを含むので注意してください。
画像として新装改訂版の「時計館の殺人・下」を貼り付けていますがが、実際に読んだのは一冊で終わる旧バージョンの文庫版です。
人の中にある幻想/人の外にある幻想
「時計館の殺人」のメイントリックは、なんというか、魔術的でいいですよね。
これがファンタジー小説だったら、この作品のメイントリックを使って、実際に時間の流れを操ることもできそうです。
「迷路館」では、途中でなされる解決として、「推理小説の現実的再現」という事件の真相が提示されましたが、虚構が現実へと浸食していく構図が持つ幻想や怪しさを、この「時計館」でもしっかりと堪能することができたと思います。
加えて、館に関するメイントリックだけでなく、本来であれば必ず的中するものと限らない予言が、それを信じた人間たちの手によって悲劇を巻き起こすという永遠の過去については、「人形館」に通じるものを感じます。何もないはずなのに、それがあると信じることによって、何かが起こってしまう悲劇。
で、上の二つは人の中にある幻想が、幻想の持ち主の行動やそれを信じた人の行動によって外の世界を侵食してしまうタイプの幻想なのですが、「館」シリーズで描かれる幻想にはもう一つ、むしろ人の外にある幻想みたいなものがあるのかなと思っています。
人の外、というのは、明らかに人知を超えた何か(に見えるもの)という意味で、「水車館」の幕切れがそれに近いです。まるで未来を予言していたかのような絵画。
「時計館の殺人」においても、決して犯人の末路を予言したものではなかったはずの詩が、結果的に犯人の処刑さえも予見していたかのように機能している。それは水車館のラストにも近い人知を超えた何か、人の外にある幻想が垣間見える結末にも思えます。
しかしながら、鹿谷があんな場所で推理をしてみせたことにも一因があるようにも思えるので、(作中では流されていますが、)あの結末も鹿谷自身が持っている幻想――作中の言葉で言えば悪夢――が外の世界を浸食したがゆえの結末なのかもしれませんね。もちろん、殺意を持っていた訳ではないでしょうが、無意識下に何かを期待していた可能性は否めません。
鹿谷が、中村青司の館が持つ魔力に憑りつかれているのは事実な訳ですから。
自己採点してみよう
上でも語っていますが、今回せっかく推理をしてみたので、自己採点でもしてみましょうか。そもそも、今回十三章の段階で推理をしたのですが、十五章まで読んでから推理をしたほうがよかったなーという感じがします。
読者への挑戦がないミステリはどこまでで推理をするかも推理しないといけないですね。まぁ探偵役は「ここまでで証拠揃ってるよ」とか教えてもらえない訳で、平等(?)です。
個人的には、もし数字にするなら、60点くらいが妥当かなーということです。合格点には到達してるんじゃないかと。
感想とかを見ても犯人や時計に仕掛けがあることに予想がついている人はいるのですが、時計の仕掛けが1.2倍である点、仕掛けが永遠の夢を叶えるための仕掛けである点、犯人がこずえに姿を見せたことについてアリバイ工作の意図があると指摘している(≒アリバイのない人間は犯人ではない)点、アリバイ工作のために江南が生き残らされた点、こずえに対してもともと殺意がなかった点などを指摘できているので、合格点が欲しいです。
自己採点における主な減点ポイントは以下の通り。
・小早川・内海が見つけたもの・死因について
内海に関してはもうちょっと明確な形で提示できてれば加点かなという感じ。
小早川に関しては、大減点という感じです。盗聴器そのものに気づくことは難しかったかもしれませんが、小早川が見つけたものについて「時計の細工は特注品とも考えられるが、案外磁石とかで調整していたのかもしれない」という雑極まりない処理をしているのは最悪です。
なんといっても館そのものに元から細工がしてあるというのがこのトリックの肝な訳で、この処理では、とりあえず説明をつけるためにトリックに対する方針がブレブレになってしまっています。
また、こずえが狙われた理由を考えられるなら、小早川が狙われた理由についても考える必要があったと思います。
・犯人の動機について
犯人の動機そのものがわからないにせよ、犯人の動機に関してカレンダー上の矛盾など証拠は提示されていたので、その部分についてはもう少し考えることができました。
・光明寺美琴と野々宮泰斉の末路について
私は十三章の段階で推理をしてしまいましたが、光明寺と野々宮の死体が十五章で発見されることは十三章までで十分推理できるはずです。すなわち、犯人にアリバイ工作する意図があることと館の仕掛けがわかっているのならば、館の仕掛けを知っている人間が生き残るはずがないからです。
こうやって並べると、60点は少々高すぎる気もしてきますね……。
ミステリの感想とかだと、「なんとなく犯人はわかった」とかつい言っちゃう訳ですが、犯人を証拠を以て明確に指摘するというのは大変で、しかも細かい謎をすべて回収するのはもっと大変という訳です。
もう、「なんとなく犯人はわかった」とか言うのはやめよう……。