日記:「さよなら神様」

以前読んだ「神様ゲーム」の一応の続編。 一応の、というのは、神様である鈴木を除いて、他のキャラクターは引き継がれていないから。個人的には本作の方が好みだったな。

日記:上半期に読んだミステリの感想 - しゆろぐ

何やら特殊な力を持っていることは確かな自称神様の鈴木と、彼のことを疑いながらも彼に頼って真実を知ろうとする語り部・桑町淳による小学校を舞台にした短編集。

小学生にしては賢すぎるだろ!と言いたくなるような台詞やモノローグの本作ですが、ジュブナイルをやろうとしていた前作よりはこっちの方が好み。第一、大人が思うより、子供はしっかり考えているものです。少なくとも、自分ではしっかり考えていると思っているものです。

 

麻耶雄嵩の実験室のような短編集

神様ゲーム」は長編小説の体裁を取っていたけど、「さよなら神様」は連作短編集。それぞれの短編で登場人物こそ継続しているが、各短編ごとにひとつの事件が起きるという形の作品になっています。そして、この短編集のコンセプトは「一行目で神様から犯人の名前だけを告げられる」という点にあり、「一行目で犯人を指摘しているからこそ可能になる(もしくは許される)(あるいはやっぱり許されない)ミステリ短編」が目まぐるしく次々に提示される点が面白いです。さながら、麻耶雄嵩実験室の実験風景を眺めているかのような気分になる短編集でした。犯人の名前は教えてくれても、証拠や事件の経緯を教えてくれる訳ではないのが嫌らしい神様です。

個人的に好きなのは、「アリバイくずし」と「バレンタイン昔語り」かなぁ。

 

知るべきではない解答/それでも知りたくなる泥沼

また、この作品の魅力はなんといっても、自称神様である鈴木のことを疑っていながら、また犯人の名前を知ることで何度も苦しむことになりながら、それでも桑町淳が鈴木に答えを聞いてしまう様子、そして桑町淳がどんどん泥沼の中に落ちてしまう様子でしょう。人が破滅に向かってゆく有様というのは、一種官能的ですらあります。

とはいえ、それでも桑町が鈴木に頼ってしまうのは何故かと言えば、桑町をめぐる状況がどんどん悪化しているからというのもあります。一見、真実だけを告げる鈴木が悪いようにも見えますが(鈴木が悪いとしか言えないような事件もありましたが)、解答を知らなければ本当にそれでよかったのかと言えば、それもまた疑問です。

この作品のラストの(ある意味)破壊力満点の文章については、色々なところで強い印象を持たれているようですが、「(悪夢のような)解答を知るべきなのか、知らないべきなのか」という問いかけに対する一定の見方を示したものと言ってもいいのかもしれません。一定の見方、としか言えないところが、この作品の嫌らしいところではありますが。

以下ネタバレ

さよなら神様 (文春文庫)

さよなら神様 (文春文庫)

 

 

 

前半戦-偶然が生むトリック-

「さよなら神様」の短編は前半戦と後半戦に分かれている(と思う)。

「少年探偵団と神様」「アリバイくずし」「ダムからの遠い道」が前半戦。「バレンタイン昔語り」「比土との対決」「さよなら、神様」が後半戦。

前半戦は、上述したように「一行目で犯人を指摘しているからこそ可能になる(もしくは許される)(あるいはやっぱり許されない)ミステリ短編」が並ぶ。前半戦は、割と偶然が生んだ(つまり犯人ではなく作者による)トリックが多いのも特徴かもしれない。

「少年探偵団と神様」は、「被害者の行動がいつもと違うスケジュールだったこと」「犯人と被害者に接点がないこと」という、個々の事実としては犯人が被害者を狙う上では不合理な事実が、事件の真相を浮かび上がらせる構図が面白く、また犯人による被害者の誤認を成立させる強烈な偶然もこの形式ならではで面白い。

「アリバイくずし」は犯行時刻に被害者が犯人の元へ向かい、同時刻に被害者宅に侵入者があったというこれまた強烈な偶然が意図せずアリバイトリックを生み出してしまう話。桑町が本当に知りたかったはずの犬を殺害した犯人と被害者を殺害した犯人が異なる人物であった点も、やるせない結末。

また、トリックだけでなく、「容疑者となっていた先生ではなく、友人の肉親である犯人が捕まる」「友人の肉親である犯人が捕まらず、冤罪が起きる」「第一の事件で犯人ではなかった先生が犯人となり、これまた捕まらない」と物語をめぐる結末がどんどん悪化していくのも見どころ。いや、捕まるのと捕まらないのどっちがいいかはわからないけど……。

 

後半戦-神様を応用したトリック-

後半戦も、「一行目で犯人を指摘しているからこそ可能になる(もしくは許される)(あるいはやっぱり許されない)ミステリ短編」という点には変わりがないのだが、後半戦では積極的に自称神様である鈴木が犯人を告げるというシステムを利用した作品が並ぶ。利用しているのは、作中の人物であったり、もしくは作者であったりするのだが。

中でも、「バレンタイン昔語り」は強烈。この作品は、未来における殺人の犯人を神様が予告する事件になっており、またこの予告が殺人の直接の原因となる作品でもある。

直接手を下したのは、作中で提示される犯人になる訳だが、<操り>まで想定すると、この事件の真犯人が誰になるのかは結構難しい。

鈴木が犯人を宣告することによって犯人や被害者が殺害される未来が決定されたとすれば、鈴木が真犯人ともいえる。しかしながら、桑町淳の問いかけに答えるため、鈴木が未来を観測したことによって未来が決定した(鈴木が故意に未来を確定させたわけではない)、といった感じであれば桑町こそが真犯人とも言える。

また、桑町真犯人説に対する更なる反論もある。鈴木が被害者の本名をどのように判定したかに注目すると、周囲からの認識によって誰が誰であるかを決定せずに、血縁による親子関係によって誰が誰であるかを決定しているという点で鈴木は恣意的な判断を下している。桑町からの質問に対して、過去に死んだ人間ではなく未来に死ぬ人間について答えた鈴木の判断こそが被害者を殺したと考えれば、やはり鈴木が真犯人と言うこともできる。

尤も、桑町が鈴木に犯人を問いかけ、その結果として被害者が死ぬということまでずっと前から決定している歴史なのだとすれば、桑町が真犯人とか鈴木が真犯人とか考えること自体が無謀ではある。もしくは、そのような決定論的な立場に立つ場合とすれば、やはり自称神様が責任を持つべきではないかともいえなくもないのかもしれない。

「比土との対決」「さよなら、神様」はいずれも犯人が神様を利用した作品となっている。「比土との対決」は動機の誤認によるアリバイという直球勝負で面白い。

「さよなら、神様」では、ラストで黒幕(?)の犯行が明かされる(?)ため、読み終えた直後は、こう、「何もかも彼の思い通りだったのか!?」という印象を受けてしまった。ただし、桑町が追い詰められるに至った状況は、そもそも前半戦で起きたような事件によるところ、すなわち桑町の周囲の治安が最悪であることに由来している面も大きい。

そもそも黒幕(?)は比土の事件の糸を引いていたわけでもないし、また比土の計画通りであっても誰を殺害するかは決定していなかった。

すると、黒幕(?)は過去に起こした事件が露見しないように頑張って、ついでに桑町をめぐる状況が最悪だったので、最後の駄目押しをした、くらいのことしかしていない。割と行き当たりばったりに行動していただけでは?という気もする。

そういう意味で、彼が実際にああいう意図で行動していたとして、殺人犯であるという点で罪はあるものの、めちゃくちゃすべてを操っていたわけでもないなーという感じ。

 

鈴木にとっての桑町/神様にとっての人間

最後まで読んで思ったことは、「結局鈴木にとって桑町ってなんだったんだろう」ということ。

最初は、夢小説的に、「おもしれー女」くらいに思ってたのかなぁと考えた。

(あの神様が人間に恋をするとも思えないので、恋愛感情ではないだろうけど)

実際、真実を告げられてひどい目にあってもなお真実を知りたがる、しかも疑っている対象である鈴木にすがってしまうという桑町の様子はかなり面白い。

しかしながら、最後の最後、つまりは「残念でした♡」まで読んだ上で考えると、鈴木にとって桑町は神様を拒絶する存在であって、鈴木はその未来をうっすらと見た上で、桑町と関わる(関わり合いになり得る学校に来る)ことを決めたんじゃないかな、と思った。

あいつは自分で目を閉じ耳を塞ぐことができると云っていた。そうでないと、未来のことも含めて、全てが見え全てが聞こえてしまうらしいからな。未来を楽しむには敢えて閉ざす必要があったんだ。だが時には薄目を開けることもあったのかもしれない。そして退屈しのぎになりそうなところへ現れる。(p.301)

上記の桑町の考えが提示された時点で、桑町は単なる愉快な退屈しのぎにすぎない存在だが、「残念でした♡」の段階では鈴木の真意を読み取り、鈴木が暗示した真実を受信しながら、それを拒絶し得る存在に到達している。こうなってくると、鈴木にとっての桑町は単なる愉快な退屈しのぎではなく、めちゃくちゃ愉快な退屈しのぎであったと言えるのかもしれない。

「不自由があるから人は前を向いていられる。まったく全知全能ほど退屈なものはないよ」(p.14)

「イケメン生活に飽きたからね。よく人間はこんなのに憧れるね。面倒なだけなのに」(p.272)

鈴木は桑町の学校で、自分を拒絶する存在を得たとすれば? 神様にとってそれは一種の不自由ではないのか? 面倒なだけのイケメン生活ではなく、自分を拒絶する存在を得ることが神様の真意だったのでは?

「なあ、どうして俺と関わったんだ?」

「関わったのは僕じゃなくて君の方だろ」

「ああ、それでもいいよ。で、どうして俺には教えてくれたんだ」

「好意……といっても信じないだろうね。退屈だったからだよ」(p.273)

退屈だったから。退屈をしのぎたい神様にとって、一種の不自由を与えてくれる人間に対して抱く感情は、好意に似たものと言えるのかもしれない。

まぁ、そもそも神様の感情を理解しようとするのが、人間の傲慢なんでしょうけど。

人は空を飛ぶことも出来なければ、自由に姿を変えることも出来ない。つまり様々な制限を課されているわけだ。そんな中で、感情だけは全て与えられていると思いこむのは、とんだ間違いだよ。人間に認識できない感情など山ほどある。(p.16)

 

(ちなみに、ここまでの文章は、ツイッターで拝見した「さよなら、神様」の一行目で提示されている犯人が「君」であり、「さよなら神様」は神殺しの作品なのではないかというツイートの影響を受けていると思います。たぶん)