メモ:新明解国語辞典の「な(さ)そうだ」「な(さ)すぎる」に関する記述

1.はじめに

新明解国語辞典で「無い」を引くと、最後の方にこんな記述がある。

[文法]助動詞「そうだ(様態)」に続く時は、「なそうだ」の形になる。また「すぎる」と結びついて複合動詞をつくるときは「なすぎる」の形になる。(新明解国語辞典第七版)(下線は筆者による)

形容詞が「-そうだ」「-すぎる」を後接する場合には、通常「楽しそうだ」「楽しすぎる」のように形容詞の語幹が出現する。よって、「無い」の場合には「なそうだ」「なすぎる」が出てくることが予想できそうだが、実際には「なそうだ」「なすぎる」のように「さ」が挿入される。

よって、「無い」についてこの説明を立てることで、原則から外れる現象についても取り扱うことができるようになる。

 

ただし、この記述にすこし疑問を覚える箇所もある。

例えば、「汚い」には「な(さ)そうだ」に関する記述が載っていないため、「汚そうだ」「汚すぎる」で適切と考えられているようだ。これに関しては私の直観とも整合する。

ただし、「小汚い」には以下のような記述が掲載されているのである。

[文法]助動詞「そうだ(様態)」に続く時は、「小汚なそうだ」の形になる。(新明解国語辞典第七版)(下線は筆者による)

私の直観では、「小汚い」に「そうだ」を続ける場面がそもそもあまり思いつかないのもあるが、それを考慮しても「(アイツの部屋は)小汚そうだ」の方が「小汚そうだ」より落ち着きがいい。

私の直観は私の直観に過ぎないとしても、「汚い」と「小汚い」で「さ」の挿入の有無に違いが出ると言うのもいまいち釈然としない。

そんなわけで、この記事では、新明解国語辞典第七版において「ない」で終わる形容詞などにおいて、「な(さ)そうだ」「な(さ)すぎる」の記述がどうなっているか、簡単に調べてみた。

 

 

 

2.結果

形容詞もしくは否定の「ない」で終わる形式について、新明解国語辞典第七版のアプリ版で「-そうだ」「-すぎる」の記述の有無を調べた。全部ひらがな表記です。

次節で言及するものについて下線を引いています。

 

「-そうだ」「-すぎる」の記述なし

あいいれない、あきたりない、あたじけない、あぶない、あらそわれない、あらそえない、いうまでもない、いけない、いたたまれない、えない、おおけない、おさない、おっかない、がたない、かねない、かもしれない、きたない、きんじえない、くいたりない、くだらない、くちぎたない、くらぶべくもない、しにきれない、すくない、すまない、そぐわない、たえない、たのみすくない、たまらない、つたない、つまらない、つまんない、てばなせない、なくてはならない、なければいけない、なければならない、ならない、にえきらない、にてもにつかない、ねぎたない、のこりすくない、のっぴきならない、はらぎたない、ほかならない、みたない、ものたりない、やまない、やむをえない、やりきれない、ゆかない

 

「-そうだ」のみ記述あり 

[文法]助動詞「そうだ(様態)」に続く時は、「-そうだ」の形になる。

こぎたない、さりげないしょざいないせわしないだいじない、ちがいない、つつがない、なにげない、やんごとない、わりない

 

「-そうだ」「-すぎる」の記述あり 

[文法]助動詞「そうだ(様態)」に続く時は、「-そうだ」の形になる。また「すぎる」と結びついて複合動詞をつくるときは「-すぎる」の形になる。

あえない、あじけないあっけない、あどけない、あぶなげない、あられもない、いぎたないいじきたない、いとけない、いわけない、えげつない、おしみない、おとなげない、おぼつかない、おもいがけない、おもしろくない、かぎりない、かずかぎりない、かたじけない、がんぜない、ぎこちない、きわまりない、くちさがない、こころない、こころもとない、このうえない、さだめない、ざっかけない、しかたない、しがない、しどけない、しのびない、じゅつない、しょうがない、じょさいない、すげない、せつない、せんかたない、せんない、そういない、ぞうさない、そっけない、たえまない、たよりない、だらしない、たわいない、つれない、とんでもない、ない、なさけない、ならびない、なんでもない、にげない、はかない、はしたない、ふがいない、またとない、みっともない、めんぼくない、やむない、やるせない、ゆるぎない、よぎない、よしない、よんどころない、

 

3.所感

汚い

「汚い」「口汚い」「ねぎたない」は記述なし。

「小汚い」は「-そうだ」のみ記述あり。

「いぎたない」「意地汚い」は「-そうだ」「-すぎる」の記述あり 

ただし、「ねぎたない」に関しては「『いぎたない』の新しい言い方」という語釈にあんっているので、「いぎたない」を参照すべきということだろう。

「小汚い」に関しては上述のように賛同できないのだが、「意地汚い」に関しては、確かに「意地汚そうだ」と言われても、そこまで強い違和感はないような気もする。何故かはわからない。でも、「意地汚そうだ」に比べて「さ」を入れた方が自然かというと、そんなこともない気がする。

「口汚い」に関しては、私個人の内省として「口汚く(ののしった)」のように副詞的にしか使わないので、「-そうだ」「-すぎる」がついたらどうなるかうまく判定できないところがある。

 

切ない 儚い

個人的に明確に自分の内省と違うなと思うのは、「せつない」「はかない」あたり。

この二つは「さ」が挿入されるという説明になっているが、「切なすぎる」「切なそうだ」「儚すぎる」「儚そうだ」と「さ」が入っていない方が自然だと思う。

そもそも「切ない」の「ない」は否定の「ない」ではなさそうな印象を受ける。というか、「切ない」については新明解に「『切なり』の変化」と書いてある。「儚い」も「果敢無い」や「墓無い」という字があてられている(いた)らしいが、現代語において「無い」の意味があるかは微妙だ。

「汚い」等も含めて、「ない」が否定を意味していなさそうな場合にも「さ」が挿入できるかはすこし怪しいところがあると思う。

 

名詞+ない

「味気ない」「呆気ない」「大人げない」「他愛ない」のように、「名詞+ない」についてはだいたい「さ」が挿入できるという判断なのだろうか。それには概ね賛同できる。

ただし、「-すぎる」の記述がなく「-そうだ」の記述しかない「所在ない」「大事ない」あたりはどういう扱いなのかよくわからない。「所在なさすぎる」「大事なさすぎる」が変と言う判断なのかもしれないが、「所在なすぎる」「大事なすぎる」も大概不自然だと思うので、そもそも「-すぎる」が後接できないので書いてないということだろうか。

それを言うと、「極まりない」「この上ない」あたりも「-すぎる」の記述があるものの、「-すぎる」が後接するか怪しい印象を受ける。もしそういう用例が実在したとして、それは一般的なのだろうか。

 

「-そうだ」の記述だけで「-すぎる」の記述がないもの

「さりげない」は「-そうだ」の記述しかないタイプだが、なんとなく言わんとするところはわからなくもない。

「田中さんの配慮がさりげなすぎて、お礼を言い損ねてしまった」のように「さ」がなくても言えそうだ。「さ」を挿入しても言える人はいそうだとは思うけど、挿入しないと言えないものにのみ「-そうだ」について記述する方針なら、これでいいと思う。

「忙しない」についてはやや疑問。「忙しなすぎる」と「さ」がなくても言えそうな点については納得するが、「忙しなさそう」と言うかは微妙。ただ「忙しなそう」もあんまり個人的には言わない気がする。そもそも「忙しない」が「忙しそう」に近い意味をあらわすというか、「-そう」との相性が悪そう。

 

4.気持ち

偉そうに色々書いたが、私もばっちりこの語については「さ」を挿入するべき、この語については「さ」を挿入しないべきということについて断言できるわけではない。

ざっと論文を調べてみたところ、黒崎(2020)によれば、明鏡国語辞典に「そうだ」「すぎる」における「さ」の挿入の有無がコラムとして掲載されているらしい。私は明鏡国語辞典を持っていないので、図書館に行けるようになったら調べてみたいと思う。

三省堂国語辞典では、「ない」の項目で「なさそうだ」「なさすぎる」について触れているのみで、個別の項目には「さ」が挿入されるか書いていない。

三省堂国語辞典の方針が無難な気もするし、この記事でいろいろ疑問があると書きはしたけど、ひとつひとつの項目で「さ」の挿入について書き記そうとする新明解国語辞典心意気は買いたい

まだ原文を確認していないのでなんとも言えないけど、明鏡のコラムで示されているであろうルールで、「さ」の挿入についてカバーできているかも結構怪しいところがありそうな気もする。

そういう意味では、ひとつひとつの項目で確認できたら嬉しいような気もする。しかし、実際にはそもそもかなり判断に揺れがありそうな現象でもあるので、難しいところだと思う。