日記:「ユダの窓」

あの部屋が普通の部屋と違っているわけではない。家に帰って見てみるんじゃな。ユダの窓はお前さんの部屋にもある。この部屋にもあるし、中央刑事裁判所の法廷にも必ずある。ただし、気づくものはほとんどおらん。 (p.96)

長らく絶版だったようなのですが、2015年に創元推理文庫から新作が出たようなので読みました。(といっても5年前ですね……)

初めてのカーター・ディクスン(もといジョン・ディクスン・カー)でしたが、さすが密室の名手!

密室で薬を飲まされ、起きたときには死体と自分しかいないという状況。絶体絶命の状況の容疑者。そんな逆境を突き崩していく法廷劇。どんな部屋にも必ずあるというユダの窓とは?

 

法廷劇の魅力

この作品はメイントリックが有名らしく、ネタバレを知ってしまったがゆえに読んでいないという人も多いらしい。(後から感想を調べて知った)

でも、これも多くの人が語っていることだが、メイントリックだけが魅力の作品ではもちろんなくて、それを知った状態でも十分楽しめると思う。法務長官はもともと極限まで追い詰められた容疑者を悠々と追い詰めていくが、一見堅牢に見える状況証拠を少しずつ突き崩していく弁護人ヘンリ・メリヴェール卿。彼が繰り出すロジックにいちいち感服してしまう。とはいえやっぱり状況は容疑者にフリで、ハラハラドキドキした展開になる。

全部わかった後に振り返ってみると、事件の状況に厳しい部分や多少の無理もあるかもしれない。でも、そこは法廷劇という形で「論戦」を行う形式のおかげで、「どんなに無理があるように見えても、この証拠がこの説明を覆す。この証拠があの説明を補強する」というロジックの提示が楽しく、むしろ状況の複雑さ・困難さも含めて法廷劇という作劇に昇華できているのが、この作品の魅力だと思う。

あと、だいたい裁判をやっていて、事件自体は冒頭で終わっているので、推理小説は事件が起きるまでが退屈とか思っている人にもおすすめですよ。

 

メイントリックと「ユダの窓」というタイトル

上でメイントリックを知った状態でも楽しめるとは書いたものの、っっっっったいメイントリックを知らずに読んだ方が楽しいです。むしろメイントリックを知らない人は本当に幸福なので、今すぐ読んだ方がいい。私も幸福な側でした。

トリック自体は、(俺には無理だけど)優秀なミステリ作家ならこの人以外の誰かがいつ思いついてもおかしくないものなのかもしれないなーとは思うけど、それを「ユダの窓」と名付けてタイトルにしてしまうセンスが素晴らしい。

ミステリのタイトルは、事件が起きた場所や見立て殺人の見立て、(毒殺ほか捜査の段階で発覚する)事件の様子とかがタイトルになるイメージで、メイントリックをタイトルに据えて、それが実際にトリックを適格にあらわしているというのはなかなかない気がします。まぁ私の読書量が少ないだけかもしれませんが。

カー初体験でしたが、もっと読みたくなりました。

この先ネタバレ。

ユダの窓 (創元推理文庫)

 

アメリア・ジョーダンの反対尋問

この作品を面白いぞと思い始めたのは、しょっぱなもしょっぱな。最初に出てくるアメリア・ジョーダンの反対尋問のシーンです。

別の人の証言を組み合わせたり、新たな証拠を提示したりして、ストーリーを否定していくのは推理物ではよくあることですが、まだ証拠が少ない最初の証言の段階で、見事に証言の急所を突くH・M卿の手口が鮮やか。また、これは法廷劇だからこその演出でもありますが、どうしても作品の面白いところである謎の解明が最後に回されてしまう推理小説の序盤の展開を楽しく演出するという点でも素晴らしい。

 

章末の「引き」の魅力

また、この作品を読んでいて好きだったのは、各章(章ではなく節かもしれませんが)の引きが魅力的であるところです。

無実のはずの容疑者であるアンズウェルが犯行を認めてしまう8章は言わずもがな。取り違えについて明かされる10章、H・M卿が攻勢に転じて徹底的に叩く13章、いるはずのない人物があらわれる14章、ユダの窓について形だけ明かされる15章。情報の提示、事件の展開がストーリーとして面白いだけでなく、それをどこで区切るのかというところも優れた作品だったなぁと思います。

また、「引き」ではないですが、10章の被告人喚問の際、長々とH・M卿が演説をかましてから「被告人を喚問する」と宣言するくだりも好きです。かっこいい。

なんというか、読み手をわくわくさせようとする心遣いにあふれた作品だと思いました。