日記:「文学少女対数学少女」
記号化された人物、人物の行動が構成する命題、その命題からなうる公理系、そこにいくつかの推論規則が加わって——それが推理小説――にして形式体系――にしてメタ数学だよ!
『雪が白いときかつそのときに限り』の邦訳が出版されたときにも気になってはいたのですが、私が初めて読む陸秋槎作品です。元は中国語の小説ですが、日本のミステリ(と百合)からの影響も強く、割とすらすら読めました。
数学×ミステリ
数学を題材にした連作ミステリ短編集。
(作者本人も言及しているけど)良くも悪くも数学畑以外の人間が気軽に楽しめる数学の話題として取り上げられやすい部分というのは偏っていて、この作品もその感はあるのですが、だからこそミステリを通じて数学の楽しさの一端に触れることができるかもしれません。逆に、ミステリの偽の手がかりをめぐるちょっとややこしい話に関して、数学を切り口にして噛み砕いている側面もあるので、そこらへんの話が好きな人にもおすすめです。
(私は専門が日本語文法のド文系なので、数学好きから見てどうかというところはちょっとわかりかねます)
基本的には、作中作をめぐって文学少女と数学少女が議論を繰り広げる形で物語が展開していきますが、そのわーわー議論をする楽しさをきっちり描きつつ身も蓋もない現実的解決を提示するところがこの作品の魅力だと思います。
身も蓋もない現実的解決は取り扱い注意なシロモノで、そればっかりだと空気読めないツッコミになってしまう危険性もあるのですが、文学少女と数学少女の豊かな議論の末に提示されるからこそ、綺麗なバランスで妙味として機能しています。
麻耶雄嵩による解説
また、陸秋槎氏が大きく影響を受けているという麻耶雄嵩の解説も見どころです。
偽の手がかりに関する問題を理想と現実のせめぎあいと表現していたり。
麻耶先生が「百合成分は控えめ」とか言っているのも面白い。そういうのに造詣が深い人だとは思ってはいましたが、真面目なノリの文章で百合成分*2とか書いてあるのを見るとちょっとギャップが凄いです。
以下、ネタバレ。
連続体仮説
「実数と有理数はどっちが多い?」
(『文学少女対数学少女』loc.132 of 3860)
ZFCとか無限の濃度の話とか。
作中作についての喧々諤々の議論は楽しいが、最後に下される身もふたもない結論はある意味で痛快。
なんというか、「この人にしか犯行は不可能だ」というタイプの不可能性を追うタイプの推理と、「この不思議な証拠品はこの人が犯人であることを示している」というタイプの不可解性を追うタイプの推理だと、不可解性を追うタイプの推理はこの話で取り上げられているような袋小路に入りやすい気がします。
もちろん、不可能性で詰めるタイプの推理も、突き詰めて考えたとき証明できないことがあるのかもしれないですが。
あと秋槎の想定推理の話ですが、被害者を崇拝しているというキャラ設定的な要素が推理に組み込まれているのは面白いです。
フェルマー最後の事件
たしかに、数学が専門でない人間が数学者のことを語ると、口から出てくるのは人生についてのエピソードばかりだね。たとえば決闘で死んだガロアは生涯政治運動に打ち込んでいたとか
(『文学少女対数学少女』loc.847 of 3860)
采蘆の作中作は、フェルマーの最終定理が証明されるまでの経緯をミステリに落とし込んだものとして非常に面白いものになっているけど、それもそれで結局歴史的経緯の話だよね、と思わなくもない。でも、その歴史的経緯をミステリに落とし込めているだけでも、すごく面白い発想ではあります。
(私は遺伝の知識が欠けていたのもあって、さっぱり解けませんでした)
(遺伝の知識があったら解けたみたいなことを言うな!)
フェルマーが実際に証明を考えていたかについては、フェルマーなりの証明を思いついていたけど、それは誤っていたみたいな形だといいなぁと思います。まぁ想いを馳せることしかできないのですが。
話がそれましたが、フェルマーの予想(作中作)と現実の事件のリンクがいちばん面白いところで、ハッタリで現実の事件を解決してしまう采蘆は、証明法を持っていなかったにも拘わらず正しい予想をおこなったフェルマーに重なるという、綺麗な結末となります。
不動点定理
「私もわからない」そう答えを返す。「これは存在することの証明だから」
(『文学少女対数学少女』loc.2481 of 3860)
トリックはわからないが、密室トリックが存在することはわかる。だから、トリックを使う余裕のあった人間が犯人だ。というロジック。これだけで面白くて、ここをもっと突き詰めた密室ものとかあっても面白そうだと思いました。
この作品の枠内では、采蘆の「トリックが存在することの証明」を発展させる形で、秋槎が「継母ではない犯人が存在することの証明」を行い、さらに作中作が執筆された動機につながっていく展開が見事です。
ところで、kindleの位置1922あたりで語られる家出をして得体の知れないオーディションで悲惨な事件に巻き込まれるというのは、陸秋槎の既発表作品のことなのか、それとも続編の前振りなのでしょうか。もし続編なら楽しみに待ちたいと思います。
グランディ級数
そこまで心配する必要はないよ。警察はじきにみんなを解放するから。
(『文学少女対数学少女』loc.847 of 3436)
作中最も身もふたもない解決が下される短編ですが、この連作短編集をしめくくるにふさわしい短編でもあります。
秋槎の作中作については、叙述トリックを使うことで「連続体仮説」で問題だった証明不可能性を積極的に取り込んで遊んでみせたミステリという感じで好きです。
時系列が入れ替わっていること自体は明示的に提示されていますし、電気についても(ほこりよりは)わかりやすく示してあると思うので、フェアじゃないということもないんじゃないかなと思います。が、あくまで解決編がついておらず、物語の外側で議論を行う「犯人当て」でしか使えない手法という感じはあります。
現実で起きた事件、壊れたイヤホンという証拠品はいかにも「犯人が偽装に失敗した」という感じでわくわくします。結局はああいう結末になるわけですが。