日記:「いまさら翼といわれても」

古典部シリーズの現行最新短編集。

「巴里マカロンの謎」の感想を書いて、そういえば感想書いてなかったなと思ったので、書く。

日記:「巴里マカロンの謎」 - しゆろぐ

今回はネタバレなし。

 

折木奉太郎という人間

「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」「長い休日」と、全体的に、折木奉太郎を掘り下げる短編が多かった印象。

もちろん、古典部シリーズは主人公の折木奉太郎について掘り下げることが多いんだけど、「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」では、「折木奉太郎が自発的に動くとき、何を大事にしようとしているのか」が掘り下げられている。

その意味で、巻き込まれて何かを解決することになるエピソードとは違った角度から折木奉太郎を掘り下げていて、「やらなければいけないことなら手短に」なんて言っていた彼にとってやらなければいけないことがどのようなものか理解が深まる短編集になっている。

尤も、高校時代のエピソードである「鏡には映らない」の時点の折木と、古典部の活動を通して少なからず変化を遂げただろう折木は違う人間なのだけど、それでも根っこにある折木という人間を掘り下げるのがこの短編集だと思う。

そして「長い休日」では、彼がどのような理由で「やらなくてもいいことなら、やらない。」という信念を持つことになったのか、そして今、彼はどういう人間なのか、ということが語られる。

「鏡には映らない」では伊原摩耶花が折木の過去を調べることを通じて折木を描き、「連峰は晴れているか」で折木奉太郎が小木先生の過去を調べることを通じて折木を描き、「長い休日」で千反田えるを通じて折木の過去を描くというのもなんか綺麗な構成という感じがする。

 「箱の中の欠落」は「いまさら翼といわれても」の前振り的な会話も入っているけど、だれが何をすべきかという観点から折木を掘り下げていて、更にそれを通じて福部里志という人物についても掘り下げられている。

 

 

古典部の進路

そしてこの短編集のもう一つのテーマが、古典部メンバーの進路。

表題作である「いまさら翼といわれても」は言わずもがな。

読み終えた後にもう一度タイトルを読み返すと、すごく気持ちが分かる。「いまさら翼といわれても」、まぁ私は進路についてたくさんのことを考えたけど、結局割と雑に決めてしまった感じもするので、共感していいのかはわからないけど。

そして、伊原摩耶花について描く「わたしたちの伝説の一冊」も。

どうでもいいですけど、「わたしたちの伝説の一冊」のラストシーン、雰囲気が「革命前夜」っぽいわくわく感がありませんか? 自分の進む道、人の進む道、そういうものについて示唆をする、誘う、それは誰かの心を革命しようとすることなのかもしれない。

上に書いた通り、「箱の中の欠落」は「いまさら翼といわれても」の前振り的な会話で、千反田える福部里志の進路について描かれていて、これもやっぱり進路の話だ。

この短編集では、折木と古典部の進路について描写されているけど、折木の進路についてはあまり書かれていなかった。そういう意味で、「いまさら翼といわれても」の千反田えるのことを見て、折木は何を考えるのか、どうなりたいと望むのか。そこら辺は、次作のテーマになるのかもしれない。

 

ちなみに各短編の雑誌掲載時に読んでいた人の感想で、こんなものがあった。

すべて雑誌で読んだことのある話だったのに、一冊にまとまることで読後感から細かい描写に至るまでがまったく別のものに姿を変えてしまったように感じる。まるで叙述トリックに綺麗に騙されたときのような驚きすらある。

https://twitter.com/Syousetsu_K/status/804317681134383106

 私は最初から短編集として読んだけど、2008年、2012年、2013年、2016年と発表された年代にズレがありながら、そこまで言わしめる構成力に脱帽するしかない。

 

いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても (角川文庫)