日記:かわるがわる変わる毎日

環境が変わってから、そろそろ一年になる。

環境と言っても、周囲の人々が変わっただけで、そこまで大きな変化が起きたわけでもない。いま周囲にいる人のなかには、一年前から関わっていた人もそれなりにいる。いま関わりの薄い人は、一年前の時点で既に会う機会も減っていた。連続している。リバーシの色が裏返されていくように、少しずつ環境が変わっていった。

そして今、振り返ってみると、いつの間にか色んなことが終わっていたことに気づく。

戻れない時間について考えるとき、寂しくなることはあっても、戻りたいと思うことは多くない。そういう意味で、あまり後悔しない人間なのかもしれない。

 

ただなんとなくいまのうちに会っておかないと会えなくなる人がいるはずで、でも会ったって会わなくたってなんにも変わらないか、とか、そんなことも考えている。

そもそも何も変わらないという点で、いま個人的に関わっている人たちと関わる意味もよくわからない。一時的な安心感とかには有効だろうと思うけど、それが何かにつながるのかわからない。

(一時的な安心感とかこそ真実なのではないか、ということも思う)

人間といかに関わっていくべきかわからない。

ただ寂しくなって、ふと手を伸ばしてしまうだけ。

日記:すべてから逃げ出したくなったとき用の旅行予定地①

みなさんこんにちは。しゆです。ブログタイトルがしゆろぐなので予想はつくでしょうが、ブログ記事内でハンドルネームを名乗ったのは初めてかもしれませんね……。

今日はすべてから逃げ出したくなったとき用の旅行予定地を並べてみることにします。

つらいことがあったときも、死ぬか悩む前に旅行に行くことを考えれば楽しくなってまた頑張れるかもしれません。もし死ぬにしても思い出くらいつくりたいものです。

そういうことで、今回は行きたい場所を並べるだけ並べます。

今後、つらいことがあったら、どんどん旅行計画の具体性を増していきたいですね。

 

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日記:言葉は魔法だけど無力を昇華するのは難しい

お屋敷に帰ると、祖父がいつだって出迎えてくれた。彼は私を連れて庭園を歩きながら、お屋敷が賑やかだったころの話をするのが好きだった。お稽古や勉強ばかりで退屈していた私は、お屋敷に帰る時期が近づくと、祖父の話が楽しみで仕方なかった。

庭園はほとんど朽ちていて、一区画、黄色い薔薇が咲いているのみだ。

それでも祖父が話をしているときだけ、私には花々が咲き乱れる様子が目に浮かぶのだ。執事がこっそり摘み取って、女中にプレゼントしていたというスズラン。庭師が最も神経を払い、そして愛していたジギタリス。そして貧乏だった祖母が迷い込み、少年だった祖父と会ったという薔薇園を彩る数々の薔薇。私は祖父に花の名前を聞いては頭のなかでしっかりメモをして、いつか素敵な人に出会ったら、その人にぴったりの花束を贈るのだと息巻いていた。

なんて。

 

さて、上の文章が水準については敢えて語らないけれど、自分たちの生活から遠いもの、ファンタジー、メルヘン、夢がある世界、遠い国の物語、歴史の物語、そういうもので人を引き込むのは言葉の得意とするところだろう。読者が片付いていない薄暗いアパートの一室にいたって、言葉はひとときの夢に我々をいざなってくれる。

しかし、そういった夢の世界に連れ去るのではなく、人の持っている無力さをそのまま描いて、救いを描くタイプの物語は難しい。無力さの届く範囲の人間は、きっと自分には救いなんて訪れないと思っているからだ。

では無力というものはどうやって昇華していけばいいのだろう。

そういうところにすごさのある一種の言葉を見つけたので紹介してみたい。

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日記:「Kanon」

 Kanonをやった。ヒロインが5人いて、各キャラクターと仲良くなる(?)とそのキャラクターの話を読めるという、いわゆるギャルゲー形式のゲーム。キャラクターの魅力ももちろん重視されているけど、泣かせるシナリオが持ち味で、当時は「泣きゲー」なんて言ってもてはやされたらしい。ある意味その筋の古典みたいなもんだと認識してプレイした。

実際には泣いていないけど、けっこう心にくる話は多かった。あざといくらいに鉄板の「泣かせる」話を持ってくるので、あざとすぎるのが嫌だとダメだろうけど、許容できる人、あざとい話に慣れていない人はわりと楽しめるんじゃないだろうか。今とは違う当時の萌え?系に対する耐性も必要かもしれないけど。

こういう形式のゲームは初めてやったので、このゲームの特徴なのかジャンル全般の特徴なのかわからないけど、各キャラクターとの交流において、しつこいくらい似た描写の繰り返しがあるのが面白かった。寝坊して遅刻しないように走る描写とか。夜の校舎で何かと戦っているキャラクターに差し入れを持っていく描写とか。同居しているキャラクターが就寝後にタチの悪いいたずらをしかけてくるとか。それぞれ10回くらいはあったような。もちろん一回一回の描写に細かい違いや会話の積み重ねがあるので、冗長というわけではない。こういう「繰り返される」描写で日常っぽさを強調して、最後の展開で泣かせてくる感じなんだと思う。

ネットで中途半端に前情報を知っていたのも反映しつつ、舞→あゆ→名雪→真琴→栞の順番にお話を見ていった。あゆのシナリオについては最初に見たほうがいいという意見と最後に見たほうがいいという意見を見たが、個人的には最初に見るのがおすすめ。ラストは栞の話がわりときれいに収まる感じがするかな。実際には割と雑に選択肢を選んでいたので、あゆの話は二番目に見ることになったけど。

テキストが中心の物語をゲームでやることの面白さに、音楽や画面といった演出と文章の同居があると思う。あとこのゲームは、画面の下四分の一くらいのエリアに表示されるテキストボックスに文章が載るので、「段落のない」文章になっているのもちょっと面白い。

ここからはネタバレもまじえつつ、雑多に書きなぐっていく。

Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

 

 

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日記:ゲームにおける演出としての脱チップチューン

注意:音楽もゲームも素人の人間が突然意味もなくチップチューンについて語るだけの日記です。音楽について語りたいけど語れないので、ゲームを通じて語るしかない……。テクノとかもよくわかっていない……。

 

チップチューンというのはわかりやすく言えば、ファミコンゲームボーイのように音が制限されていた時代のゲーム音源を使った音楽を指すジャンルの名前だ。ピコピコ音なんて言ったりもする。*1

もちろん基本的には古いゲームで使われていた音なので、日本の最新のゲームにおいてチップチューンは主流とは言えない。でも個人制作のゲームや、ゲーム好き向けのゲームではBGMとして現役で使われていることも少なくない。わかりやすい魅力としては「そういうゲームをプレイしていた世代にとって懐かしい」というものがある。チップチューンが使われているゲームでは、これまたファミコンゲームボーイのころのゲーム画面において主流だったドット絵が使われていることが少なくない。*2ドット絵とチップチューンの相乗効果で、ファミコン風、ゲームボーイ風の世界観を構築しているのかもしれない。

で、ただゲーム全体にチップチューンを使って雰囲気を出すだけじゃなくて、演出の一部として使っているゲームがあるので、今日はそれについてちょっと書いていきたい。Tower of HeavenというゲームとUndertaleというゲームについて(ネタバレというほどでもないけど)一部演出についての言及があるので注意。それでもTower of Heavenはブラウザ上でプレイできる短いゲームなので、プレイしてから読んだほうがいい気もする。

askiisoft.com

*1:厳密に言えば、音源を使っただけのものはチップチューンでないと見なす立場もある。ファミコンゲームボーイは同時に出せる音の数にも制限があるから、その制限を守っていないとチップチューンではない、という考え方だ。でも今回の話ではざっくり、ファミコンっぽい、ゲームボーイっぽい音を使った曲をチップチューンだと考えて構わない。その差についてはあまり言及しない。というか俺にはできない

*2:洞窟物語とかVVVVVVとか。リンクからダウンロード/購入できるが、リンク先とは別のハードでダウンロード販売していたりもするので興味があったら調べてほしい

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日記:今年の百合3選

あんまりブログに書いていないのですが、女性どうしの関係を描いた、いわゆる百合がちょっと好きなので、これも3つくらい選んでみようと思う。かなり自由に選出するので注意。ネタバレはしない。

 

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