日記:「ルポルタージュ1巻」

恋愛をするものがマイノリティとなり、現代的な意味での交際を”飛ばした”、純粋なパートナーシップとしての「飛ばし結婚」が一般的になった社会が舞台。その象徴である「非・恋愛コミューン」をテロリストが襲撃、多数の被害者が出る。

青枝聖は記者として、被害者のルポルタージュを担当することになる。

 

設定に脱恋愛的要素を持っている作品は、結局恋愛は素晴らしい、みたいな話に帰結してしまう印象がある。この作品は1巻の時点で、作中人物が恋に落ちたり、恋愛を飛ばした結婚という形に疑問を呈する描写こそあるものの、そう単純な話にもならないだろうな、という予感がある。

かといって、脱恋愛的な設定をそのまま賛美するような話でも勿論なく、難しいものを物語のなかで溶きほぐしながら、安易に単純化せずに描き切ってくれそうな感じがする。そういう期待がある。

帯にもある「私は今まで手触りを軽視していたのだとわかった——」という言い回しさえ、とても慎重なもので、それでいて的確になんらかの事実を突いた一文であると思う。

 

絵理沢の家庭は「飛ばし結婚」の先進的な成功例として(そんなに大きい記事ではないにしても)取り上げられていたが、個人が象徴とされることの恐ろしさみたいなことについて想いを馳せた。

象徴になってしまうと、象徴には象徴としてのふるまいが求められる。その圧は、水面下にしかないものであっても、やはり恐ろしい。

絵理沢夫婦の間にある取り決めというのも、そういう圧があったのではないかと邪推してみたり。単に子供の存在が大きかったのかもしれないし、人と違うことをしたがゆえの世間体があったのかもしれないので、やっぱり邪推にすぎないけれど。

 

 以下、ネタバレ少な目の箇条書き

 

 

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日記:アニメ「やがて君になる」1話

見ましたか? 俺は見ました。

あなたも見ましょう。

あらすじとかは書かずに、原作との差異やアニメを見て思ったことについてざっと書いていきます。

各話感想リスト

日記:アニメ「やがて君になる」1話 - しゆろぐ

日記:アニメ「やがて君になる」2話 - しゆろぐ

 

露骨に小糸の主観視点で映像をつくっている部分とかあって面白かったですね。

主観である、と判断する基準はカメラの揺れ方とかに由来するところなので、実はアニメならではの演出なのかもしれません。

瞼が閉じる描写とか視界がかすむ描写とかなら漫画でもよくありますけどね。

 

全体的に、原作よりは、小糸侑の感情を強調するような描写が多くなってましたね。

冒頭のモノローグにしても、

少女漫画やラブソングのことばは キラキラしてて眩しくて 意味なら辞書を引かなくてもわかるけど わたしのものにはなってくれない(原作1巻p.3)

から

少女漫画も、ラブソングの歌詞も、わたしにはきらきらとまぶしくて、でも、どうしても、届かなくて、意味なら辞書を引かなくてもわかるけど、わたしのものにはなってくれない

と「どうしても、届かなくて」のあたりが恋に対する小糸のスタンスを明示するようになっていたり。

告白に遭遇したとき息を漏らす描写とか。

教室での心情描写的なイメージ映像で足元が水に浸かる描写とか。

「だって今まで好きって言われてどきどきしたことないもの」という先輩の言葉に、自分のスカートを握る描写とか。

 

声がつくことによって声が震えていることがわかったり、映像として漫画のコマとコマの間を自然に埋めたら自然とそうなったりということもあるでしょうが、やっぱり全体としては小糸が感情を表立って見せるような描写が多かったように思います。

声がついて印象的なところと言えば、「本で読む歌で聞く恋はきらきらしててわたしだってそのときになれば羽根が生えたみたいにきっとフワフワしちゃったり」というモノローグが本当に期待とわくわくした気持ちに満ちた演技で、あー小糸、あー小糸、という感じになったり。

 

あと、描写としては漫画と変わらないところですが、気づいたこと。漫画を読んでいたときには小糸のほうに肩入れしていてあまり先輩に何が見えていたのかということがわかっていなくて、例えば、相談しようとしている小糸の意図を見抜く場面。

あの場面は、わざわざ先輩の話を遮ってまで大したことでもない質問をしたり、お手伝いの身で気を利かせて(おそらくいつも)お茶を入れるような小糸がそれにやっていなかったり、小糸がいつも通りじゃないんですね。

でも、基本的には普通の声で世間話をしていたり、モノローグの切迫した声と違って、表面的には普通そうにしている。

こういうことに気づくスマートさは、さすが七海燈子って感じがします。いや、アニメ見るまで気づかなかった俺が観察力のない馬鹿というだけかもしれませんが。

 

あと漫画と違う描写だと、道案内をしてくれる先輩の意図に一瞬ついていけず突っ立ってる小糸に、ジェスチャーで意図を伝える先輩のくだりとかはちょっとコメディタッチでよかったですね。

先輩の感情に関する部分だと、特別という気持ちがわからないという小糸に、「わからない?」と先輩が聞き返すセリフが追加されています。あくまで「優しい先輩」として話す声に比べて、このときだけ露骨に感情があらわれていますね。

 

あと、生徒会室に初めて案内されたときの描写でやたら風が吹いていましたが、あれはなんなんでしょうかね。なんか特別な出会いを強調するような演出でそこはちょっと解釈違いを起こしているかもしれない。俺の解釈が正しいわけではないので全然問題ないのですが、個人の感想として。

小糸が告白されたときの、桜が舞う描写とかとなんらかの対比があるんでしょうかね。ただ単にアニメ的な見せ場をつくっているのかもしれませんが。

 

以降原作6巻までのネタバレあり

 

 

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日記:「図書館の殺人」

平成のエラリー・クイーン青崎有吾のデビュー作「体育館の殺人」から連なる裏染天馬シリーズ4作目の感想です。

「体育館の殺人」は「今ミステリが読みたいならこれを読め」と言っても良いほど、エンタメ・ミステリとしての完成度がすこぶる高い作品なのですが、この「図書館の殺人」はただのミステリというだけではなく、青春ミステリとしての完成度が本当に高いです。「図書館の殺人」でキャラものとして一気に化けたな、という印象です。

ネタバレにならない範囲で終盤の文を引用すると、「涙が出そうになったが、口元はなぜかほころんでいた」という一文にみられるような絶妙な感情を喚起する探偵の推理シーンは必見です。なんともいえないぞわっとした気持ちになります。

 

ミステリ面での面白さは、やはりダイイング・メッセージの内容を一切推理しないのに、ダイイング・メッセージが書かれたという事実からいろいろと推理していくというちょっと倒錯した推理の手順にあると思います。しかしこれはもっともなことで、ダイイング・メッセージは犯人を特定する「証拠」にはなり得ません。そのためミステリ作品ではダイイング・メッセージを扱う際には別の証拠を持ち出すことが多いわけです。しかし決定的な証拠にならないからといってダイイング・メッセージの中身を(最後の最後まで)無視してしまうというところに探偵の(ひいては作者の)性格が出ていて面白いですね。

これについては、作者の青崎氏もツイートを行っています。

 ここで挙げられている一つ目の「消去法にアリバイを使わない」というのも面白いところですね。アリバイは露骨に推理の手がかりになることがわかってしまいますが、そうではない特徴で犯人の特定を行う際は、「どの特徴が犯人特定の証拠に使えるのか」ということをまず考えなければいけないので、その分推理できると満足感があります。

 

また作中作として登場する「本」の使い方が素晴らしいです。「図書館の殺人」というタイトルに恥じない、一種のビブリオミステリとしても秀逸な作品だと思います。たった一冊の本に詰まったちょっとした青春の1ページと、それが「殺人」に巻き込まれてしまったがゆえに起こる物語。そういう部分の完成度も素晴らしいです。

そんなこんなで素晴らしい作品です。読みましょう。

この先ネタバレがあります。

図書館の殺人 (創元推理文庫)

図書館の殺人 (創元推理文庫)

 

 

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日記:錠剤

昔から嚥下が苦手だった。具体的には、中学生くらいまで錠剤が飲めなかった。

錠剤の代わりに粉薬を処方してもらったり、砕いて飲んだりした。

ものによるが、口の中に錠剤をしばらくとどめておくと、苦味が出てくることがある。砕いた錠剤は、当然そういう苦味が最初からある。さらに言えば、砕いた錠剤は粉状になっていて飲みやすいが、しかし量は錠剤の状態と変わらない。だから子供のころは薬を飲むのにたいそう苦労した。それでいて体調はしょっちゅう崩した。薬に関する苦い記憶は今でも忘れられない悪夢だ。よく噛まずに食べものを飲み込んでしまう癖に、どうして錠剤が飲めないというのだろう。不思議なものである。

いつの間にか錠剤もすんなり飲めるようになった。

と、思っていたのだが、私は一つの錠剤を見つめながら文章を書いている。つまり、ここ二、三日で錠剤を飲み込むのが下手になっており、錠剤を口に入れることを恐怖している。

ここ数週間不調が続いていることも関係しているのだろうが、こんなことで手間取っている自分が情けない。

そういうわけで文章を書いて気分を紛らわせている。

ちょっと感じが変わるだけで簡単に飲めてしまったりするのだが、この感じが変わるということの実態が正確につかめない限りは、今後も苦労することになるかもしれない。

日記:何かを盛り上げるとかの話

日々いろんな人がいろんな発信をして、いろんなものを盛り上げようとしている。

対象は伝統の継承であったり、地方活性化であったり、福祉であったり、何らかのコンテンツであったり、イベントであったり、交流であったり、商売であったり、さまざま。

そういうのを見ているとき、彼らの努力が報われて、彼らが盛り上げたいものが盛り上がるといいなぁと思う反面、どこか冷めた気持ちもある。

例えば盛り上がりのわかりやすい指標がお金であるならば、それは消費者が持っている限られたパイの奪い合いなんじゃないかとか、そういうことを思う。何かが盛り上がればその分盛り下がっていく業界もあって、結局得をするのは拘りを持って一つのものを盛り上げようとする人間ではなく、業界を渡り歩きながら勝ち馬に乗っていく存在じゃないか、とか。経済とかよくわからないので頓珍漢なことを言っているかもしれない。それで何が悪いのか、と思うかもしれない。何も悪いことはないけど、いつか盛り下がっていくものに思いを馳せると寂しいな、と思うだけ。

かつて栄えていた寂しい廃墟に再び光を当てたとて、それが別の場所から奪った光であるならば、光の総量が変わらないとすれば、大して意味がないのではないかと考えてしまう。

 

お金でないにせよ、何かを盛り上げようとすることは、限られた人口における興味や関心というリソースの奪い合いだ。興味や関心を持つ人間が少なければ盛り上がらないし、一人の人間が持てる興味や関心の量はきっと限られている。

そういう奪い合いを勝負事のように楽しめれば人生が豊かになるのかもしれない。

今のところは勝つのも負けるのも空しいと思ってしまうばかりの人生なので、あなたが盛り上げようとしている何かが盛り上がることを祈りながら寝ます。

日記:感想を書くこと

人の感想を読むことが好きだし、自分で感想を書くのもそこそこ好きだが、書いていると定期的に飽きる。

何故感想を書くかといえば、自分も人の感想を読むのが好きだから、という面が強い。しかしながら、自分で感想を書いていると、「自分の感想よりわかりやすくて自分の感想より広範囲をカバーした感想がどうせあるだろう」とか、そんなことが気になってくる。すると、人が触れていない点について触れたほうがいいのかな、と思ったりして、だんだん書くのが面倒になってくる。

どうせ書く力もないし、ツイッターに「泣けた」とか「よかった」とか一言書けばそれで済むんじゃないかという気分になる。

 

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メモ:個人的に好きな月ノ美兎さんの発言

普段こういうことについてブログには書かないのですが、Vtuber*1月ノ美兎さんの発言で個人的に興味深いなぁと思える発言があったので、部分的に書き起こしとメモを残しておきます。

どの動画で話していたかという、備忘録みたいな側面が強いです。

書き起こしだけじゃなく、つらつらよくわからないことを偉そうに語っていますが、俺は必ずしも月ノ美兎さんの熱心なファンとは言えないと思います。必ずしも彼女の出演している放送すべてを追っているわけでもありません。内容に誤った点があったら申し訳ございません。

 

*1:バーチャルYoutuber。絵やCG、キャラクターとしての設定を前提に活動をおこなうYoutuberのこと。キャラクターとしての見た目・設定と演者の素の部分が相互に作用してできあがる実在感のあるキャラクター性が面白いと個人的に思う

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