メモ:個人的に好きな月ノ美兎さんの発言
普段こういうことについてブログには書かないのですが、Vtuber*1の月ノ美兎さんの発言で個人的に興味深いなぁと思える発言があったので、部分的に書き起こしとメモを残しておきます。
どの動画で話していたかという、備忘録みたいな側面が強いです。
書き起こしだけじゃなく、つらつらよくわからないことを偉そうに語っていますが、俺は必ずしも月ノ美兎さんの熱心なファンとは言えないと思います。必ずしも彼女の出演している放送すべてを追っているわけでもありません。内容に誤った点があったら申し訳ございません。
「バーチャル」Youtuberなんていうから、技術的に凄いものを想像するかもしれないけれど、生放送などでやることは結局のところ雑談であったり、バラエティ的な企画であったり、ゲームであったりする。
中でも、月ノ美兎は雑談放送でキャラクターとしての見た目・設定と乖離した演者の個性あふれるトークで人気を博した*2。清楚な委員長というガワでありながら、ムカデ人間という清楚感に欠ける映画について話したり雑草の味について熱く語ったり、高校生という設定でありながら高校の話を過去形で話したり。
以下の書き起こしは、その雑談放送に対する月ノ美兎の個人的見解となっている。
特注ゲームとSUSHI 雑談編(後編) 12:00~
特注ゲームとSUSHI 雑談編(後編)【2018.4.25】 - YouTube
まぁ雑談するじゃないですか 今みたいな感じでね
なんか雑談放送にはね えっと 限界が来るかもしれないって思っちゃったんですよね
で まぁ それは いつぞやかの雑談でちょっと思ったんですよね
コメント拾ったりするじゃないですか わたくしが
すごい拾うじゃないですか コメントを
で まぁ そのコメントも 無限かといえばそうでもない気がしたんですね
何故かというと やっぱりコメントも何かしらを拾ってコメントするわけじゃないですか
だからわたくしが有限な限り あの コメントも有限なんですよ
基本的に、言っていることは当然のことだと思う。どんなに面白くて、人が集まって、反応が返ってきても、コメントに対する反応だけでずっと雑談を配信していればネタ切れを起こす。だから一定の枠で企画をつくってみたり、なにか新しいネタを取り入れようとする。
個人的には、「わたくしが有限な限りコメントも有限」というまとめ方が気に入っている。例えば、新作を出さない作家の感想を語るコミュニティなんかで、もうすべての感想が出尽くしていて、語ることのない状態になっていたりするとき、これを実感する。ずっと前の新作を出さない作家を語るコミュニティにわざわざ出向くくらいだから、そこにいる人間はおそらくその作家やその人が書いた作品のことを愛している。愛していても、誰も何も言わなくなって、そして人が去っていく。コンテンツが有限である限り反応も有限なものになる。
日常のコミュニケーションにおいても自然に会話が絶えるときがある。それなのに次の機会に新しいコミュニケーションを行えるのは、常日頃新しい話題を仕入れてくるからに他ならない。趣味であったり、職場の愚痴であったり。でもお互いに通じる話題がなければ、やっぱり会話は途切れてしまう。こういう面でも、いろいろと考えさせてもらえる。
月ノ美兎に話を戻すと、彼女は強烈な個性で人気になったVtuberでもあり、ただ毎日を生きて話題を仕入れるだけではきっと限界がある、それを指して彼女は「わたくしが有限な限り コメントも有限」とまとめたのだと思う。
一つの打開策として、彼女は長寿番組の多いラジオという形式を選んだ。他のVtuberのゲスト出演、視聴者投稿の企画、雑談放送という枠ではやりづらい細やかな演出などが見どころになっている。上の書き起こしからもわかる通り、月ノ美兎は今後さまざまな形で、マンネリを打破する工夫を凝らすのだと思う。それがどんな形になるのか、今から楽しみだ。
続いて、月ノ美兎というVtuberの忘れてはいけない属性の一つとして、インターネットがめちゃくちゃ好き、というものがある。次に書き起こす内容は、インターネットがめちゃくちゃ好きな月ノ美兎だからこその、感慨がこもった内容だと思う。
月ノ美兎の公式ニコ生反省会【雑談】 17:00~
で えーっとね そう
わたくしね けっこう放送中に 過去のフラッシュですとか なんかこういうサイトあったよね! みたいなね
ちょっと懐かしサイトみたいなね
若干の まぁ 10年前とかの懐かしサイトの話するじゃないですか
で まぁね なんか
着々とね わたくしもそれの一部になれているなって思うとすごくうれしいんですよ
(中略)
で まぁ そういう感じでね 例えば10年後とかですよ
わたくしが まぁ もしネットに姿をあらわさなくなったとしても
あの 「月ノ美兎ってそういえばいたよね」とかそういう話をね
まぁ誰かがするとするじゃないですか
たぶんね 一人ぐらいはしてくれると思ってるんですよ この感じだと
10年後とかにね
そう 「そういえば月ノ美兎っていたよね」とか
「あんま知らんけど」みたいな感じでも
わたくしはね そういうネットの歴史のね ちっちゃな一部になれたことがとっても嬉しいです
そう ほんと感謝ですよそこは
ありがとうございました
ちょっとしんみりした感じで話してしまいましたが
個人的な話ではあるが、月ノ美兎という人間に対して、明確に見方が変わったのはこの放送だった。だっていつも変なことをして変な話をしてたくさんの人を笑わせている芸達者な人が、ふとした瞬間にちょっと切ないことを言うんですよ? ずるいですよね?
この発言のあと「消えないで」というコメントを拾って仮定の話だと彼女は否定するが、当然、お祭りみたいなVtuberブームや彼女を取り巻くコミュニティが少しずつ終わっていくことを意識した上での発言だろうと思う。
しかし、明確な終わりを意識したうえで、月ノ美兎はそれを喜ばしいと言う。インターネットの歴史の小さな一部になれたことに歓喜する。
そういう発言を聞くと、この人は本当にインターネットが好きなのだなと思えるし、同じくインターネットが大好きな自分としては、彼女が語る嬉しい気持ちをちょっとだけ共有できたような錯覚を覚える。
月ノ美兎は愉快なキャラクターを持っていて、それがまず受けた。
その裏には真面目な面とかもある。そういう面も尊敬できる。
でもやっぱりその真面目さも、楽しいものが好き、楽しいことをしている人たちが好き、個人がそれぞれの楽しさを見せてくれる遊び場であるインターネットが好き、だから自分も楽しいことがしてみたいという、純粋な好奇心みたいなものに根差しているのだろうと思うし、そういう喜びが普段見えない形で垣間見える「インターネットの小さな歴史の一部になれてうれしい」という趣旨のこの発言が好きだ。
そんな感じ。
上に書き起こした二つの発言は、何かをつくっている人なら当然考えるようなことなのかもしれないけど、そういうことを話す舞台裏と表舞台の垣根にあいまいさみたいなところも面白いところだなぁと思います。まる。