日記:「Xの悲劇」
国名シリーズを執筆するかたわら、「バーナビー・ロス」という新たな筆名を用いてエラリー・クイーンが出版した悲劇四部作の一作目。
そもそもエラリー・クイーンが二人組の覆面作家だったのをいいことに、一方がバーナビー・ロス役、一方がエラリー・クイーン役を演じて対談なんかもしていたらしいです。子供っぽいいたずらですが、新シリーズを立ち上げるために新しい名義をつくるなんていうところからして、遊び心にあふれています。もちろんほかに別名義をつくらざるを得ない理由もあったのかもしれませんが、二人はきっと、わくわくしながら新しい物語、新しい探偵、新しい謎の構築を楽しんだことでしょう。
「Xの悲劇」はしばしば「Yの悲劇」と比べられます。アメリカでは「X」が人気で、日本では「Y」が人気なんていう話もちらほら。私は「X」と「Y」、いずれも優れた傑作だと思いましたが、確かに方向性が違います。「X」は電車や船着き場という、現代(当時)的な現場での殺人を扱った作品ですが、「Y」はハッタ―家という恐ろしい一家が舞台であり怪奇的な色合いの強い作品です。
どちらかと言えば、私は「X」が好きでした。王道の本格ミステリであり、構成も読者を退屈させないものになっています。序盤で巧妙な毒殺装置を用いた電車内での殺人が起こり、警官が探偵役ドルリー・レーンに訪れる第一幕。重要な証人と目された密告者があらわれ、その束の間起こった第二の事件や、不幸にも犯人とされてしまった容疑者の裁判シーンなど展開が二転三転する第二幕。そして、新たなる奇妙な謎が提示され、犯人が特定される第三幕。古式ゆかしき本格推理小説でありながら、エンターテインメントとしても十分に楽しめるつくりになっています。
この作品の大きな魅力の一つは謎とその論理的な推理です。
しかし、もう一つの魅力は、探偵ドルリー・レーンのキャラクターです。
聴力を失った老優。彼はシェイクスピアを偏愛し、ハムレット荘なんていうシェイクスピア趣味にも程がある空間をつくりあげ、そこに住んでいます。
操られる俳優から操る側に立ちたいと言い事件に関わっていく彼は、多くの名探偵がそうであるように、明快な推理で次々に謎を暴いてしまいます。裏方として参加している第二幕の裁判での推理は圧巻です。
しかし、どこか信用ならないところもあります。思いもよらない方法で証拠を手に入れたり、自分のミスだと言いながらまるで彼が望んだかのような事件が起きたり……。
「Yの悲劇」では怪奇的な色合いの強い物語のなかで、ドルリー・レーンのそういった面が色濃く浮かび上がっていきます。それと比べれば、「Xの悲劇」に散見されるドルリー・レーンの信用ならない面は、大したものではありません。
しかしながら、電車という現代的な舞台における王道の本格推理小説の中で、「操る側に立とうとして」事件に関わるドルリー・レーンが見せるわずかな歪みこそが、私にとってはたまらない魅力なのです。
以下、ネタバレ
- 作者: エラリー・クイーン,越前敏弥
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2009/01/24
- メディア: 文庫
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意識外の犯人が指摘されても、納得せざるを得ないところがクイーンのいいところだと思う。ちゃんとその犯人じゃないといけない必然性が納得できる。
上でもほのめかしたけど、ダイイングメッセージのくだりはこわかった。
実際、レーンが事件をどこまで予見できたかはわからないけど、犯人だってのんきではいられないだろうし、何よりダイイングメッセージの話をしたあとに被害者がダイイングメッセージを残して死ぬなんて、文字通り「人形遣いの糸を操る」ような所業だ。
あと地の文で死体と明示されている人間が生きていることについてはそこまでアンフェアではないと思う。サムに変装していたレーンが地の文でサムと表記されているわけで、「場に居合わせた人間の主観の集まりという意味での客観的な描写」が地の文でなされていることはきちんとルールとして提示されているというわけで。変装についても同様。
サムたちが裁判で恥を晒したにも関わらず、レーンを信頼する方向に行くのは殊勝で面白かった。てっきりレーンを敵視する方向で行くのかと。私はレーンを信用していないので、その観点からいくと、人心掌握術こわい。
ダイイングメッセージの真意は推理できなかったし、そこまで納得もできなかったけど、指でダイイングメッセージをつくってみたときに浮かび上がってくる「X」の文字には鳥肌が立った。「犯人X」の悲劇という意味を匂わせておいて、終盤で「X」が別の意味合いを帯びてくるのは熱い。
ちなみに全編通して犯人は全然わかりませんでした。第一幕を読んだ段階で、彼が犯人だと指摘できるようになっているとは、正直読みが甘いにも程がありました。