日記:「イヴの時間」
カフェもの、なんていうジャンルがあるのか知らないけど、カフェもの。
アンドロイドが実用化されて間もない世界。しかしアンドロイドに感情移入とか、人間を見出しすぎる人間がドリ系といって揶揄されていたり、「口にするものをロボットに任せるのはよくない」みたいな考え方をする人もいる。だからアンドロイドは、たいてい人間がやるようなことを頼めるだけのモノとして扱われている。
主要な舞台は、そんな世界で「人間とロボットを区別しない」というルールを掲げている「イヴの時間」という喫茶店。そんな店に集まるひとたちの日々を描いている。ちょっとあたたかい気持ちになれるお話。あんな店主さんがいる店なら行きたい。
結構ぞっとする描写もあって、例えばイヴの時間で会った「ひと」が、外でモノとして扱われているところを見てしまうシーンとか。ちょっとこわい。
設定については、そんな風になるものかなーとちょっと思う。アンドロイドに対して過剰反応しすぎじゃないかなとか。今もsiriとかと会話してる人いるし。しかし、本当に人間に近づいてしまったからこそ、モノとして扱わないと恐ろしい、みたいなことはあるのかもしれない。
この先、ネタバレあり。
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日記:打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(アニメ)
実写版はこっち
日記:「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」 - しゆろぐ
下手に実写版を見てしまったのでバイアスがかかっているかもしれない。
映像は癖のあるところもありつつ、いいと思うところもいくつかあった。オープニングとして、無人の景色と花火を映すカットが続くんだけれど、花火が隠れているところがいい。木の裏に、駅のホームの裏に、看板の裏に、花火を映すのが好き。シャフトの演出は人によってはくどいだろうけど、慣れている人間からしたら、抑え目だったかな。
インターネットの酷評やそれに対するカウンターを知りつつ見たけど、うーん。あんまりどちらにも与したくない。
実写版の青臭い子供らしい台詞や行動原理をそのまま使っている部分があったけど、いくらか賢そうなデザインのアニメキャラが子供すぎてちょっと違和感を覚えた。
以下、ネタバレありでちょっとだけ。
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日記:名作映画を全然見てない自分に劣等感を覚えていたころ
世界は傑作であふれている。
映画、小説、舞台、音楽、詩、見識がないから列挙も下手だが、あらゆる世界にたくさんの傑作がある。傑作とされているものがある。
ミステリなら。
モルグ街の殺人、そして誰もいなくなった、オリエント急行の殺人、Yの悲劇、フランス白粉の秘密、ブラウン神父の童心、長いお別れ、薔薇の名前、黄色い部屋の謎、ポケットにライ麦を、ABC殺人事件、女には向かない職業、アクロイド殺し、毒入りチョコレート事件、九マイルは遠すぎる、
ちっともミステリを読んでいない自分でも、このくらいあげられる。広く読んでいるミステリのファンなら、かるくこの十倍は傑作の候補をあげるだろう。
素晴らしい作品がたくさんあることは素晴らしいことであるはずなのに、なぜか気が滅入る人もいるのではないだろうか。
DVDで映画をレンタルするようになってから、ちょうど10作品分の感想を書いたところだから、くだらない自分の感情についても書いてみようかと思う。
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日記:「アメリ」
近頃、映画って結局他人事なんだな、というようなことを思うようになってきて、それに没頭できない気持ちを強く自覚するようになってきた。
アメリで描かれていることも、重大さの大小はあれど、他人事だ。しかしながら作中で描かれるささやかな他人事が、すっと心のなかに入ってくる感覚があった。うまく入り込めた。
アメリというすこし内気な女の子が、さまざまな形でいろいろな人々に関わっていくお話しになっている。例えば偶然にも発見した、数十年前にかつて少年だった人が隠した宝物を、本人に届けに行く話とか。たわいもないこと。ささいなこと。でも本人にとってはとても大事なこと。
癖のある演出も多いが、要するにこの作品で描かれていることは世界を彩るためのちょっとした工夫だ。そしていささか工夫にのめりこみすぎた人間が、素直に前に出るためのちょっとした勇気の大切さだ。
簡単に言うけれど、そういうちょっとした素敵なエピソードで観客を夢中にさせることは容易ではない。あなたが夢中になれるかはわからないが、少なくとも俺が夢中になれたのはすごい。
以降、すこしだけネタバレも交えて何か言う。
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日記:「スタンド・バイ・ミー」
エモい! 9000000点!
4人の少年の個性が冒頭数分を見ただけですぐにわかる。
主人公がどのような人間か、ということもわかりやすく提示され、入り込みやすい。
物語を語るうえでは、物語を楽しむための前提をどう共有するか、というところが最初に詰まる難所だ。「あのシーンでめっちゃ感動した」といった感想では触れられづらいが、前提の共有が上手だからこそ後の展開を思い切り楽しめるのだ。
正直、死体を探して線路をただひたすら歩く話なんて面白いわけがないと舐めてかかっていた節がある。
(私は、名作をめちゃくちゃあなどる傾向にある)
しかし、彼らがただ歩いているだけのシーンもいちいち画面が様になっている。それに、ちょっとした(重大な)出来事の描写、例えば脇に避けられない橋の上で汽車が迫ってくるとか、そういうものが自然かつスリリングに描かれているので、見ていて飽きない。
また彼らが語る、普段なら語らないだろう思い、やりとり。「死体を探して線路をただひたすら歩く話」なんかではないのだ。そういう出来事に至るまで、登場人物には彼らの人生があり、そしてその出来事の後も人生は続いていく。物語というものは、彼らの人生のワンシーンを抽出する。スタンド・バイ・ミーという映画のなかに、人間がちゃんと生きている。
人間に会話をさせるとき、状況だけでなく、場所も大事なのかもしれない、とか小説を書くほうの自分が思った。死体探しの冒険のなかで将来を語る必然性はない。しかし、場所がいつもと違うということに、きっと意味がある。
日記:「メリー・ポピンズ」
ディズニーのミュージカル映画。
古い映画だと思うけど、人が飛ぶとか、部屋がひとりで片付くとか、そういう工夫がないと撮れないシーンが多い。極めつけはアニメと実写が織り交ぜて描かれるシーン。今の感覚で見ると、すこし不自然だけど、それも不思議な懐かしさがあっていい。
いちばん好きなのは煙突をのぼって屋根の上からロンドンの夜景を見たり、煙突の掃除人たちがダンスをしたりするシーン。屋根の上に、掃除人と鳥と星だけ知っている別世界が広がっている感じがなんとも言えずよい。おそらくセットだけど、それも箱庭っぽさにつながっている。
ディズニーランド で聞いたことがあるような曲もあり、行きたくなった。
ディズニーランドが描き出しているちょっと懐かしい映画の世界の一端に触れられた気がする。
日記:だってメラミよりメラゾーマのほうが強そうに聞こえる
最近、映画の感想しか書いていなかったので、中身のないことを書きたい。
しかし、中身のないことを書く、というのをわざわざやるのは難しい。
書かないと無なので記事にならないが、中身のあることを書いてしまってもいけない。
というわけで、進化形より進化前のほうが名前の長いポケモンを調べてみた。
理由としては、「名前って長いほうが強そうだよね」という素朴な直観があって、すこし気になっていたからだ。たぶん誰もが思ってる。
(濁音と強さ、みたいなことも考えている人もいるらしい。そういう感覚もなんとなくある)
進化というものを基準にしているのは、進化したあとのほうが進化する前よりおおむね強いだろうという雑な考え。
対象範囲は、自分がプレイしていた世代までの386匹。
長い、の定義はちょっと難しい。
文字数で数えると「シェイミ」は4文字だが、モーラ数で数えると3モーラだ。
日本語を考えるときは普通モーラ数で考えるが、ポケモンの名前は一時期まで5文字縛りでやっていた業界なので、文字数で考えるべきなのかもしれない。
これは中身のない記事なので、とりあえずどっちもとりあげておこう。
2度進化するポケモンについては、名前が短くならない進化についても括弧付きで進化形を付記しておく。
コラッタ → ラッタ
ストライク → ハッサム
テッポウオ → オクタン
こんだけ。(抜けもあるかも)
数えたわけじゃないけど、おおむねポケモンは進化しても名前の長さが変わらないか、もしくは増していくのが一般的っぽい。
詳細を見ていくと、進化によってコ(子?小?)が外れるポケモンが2匹いる。これは意味的に成長すればコが外れるのが自然なのかもしれない。
あとストライクとハッサムの関係は特殊で、システム上は進化だけど、攻撃や防御といったパラメータの合計は同じ数字になっている。どの能力が強いか、という割り振りだけが変化していて、ストライクは「すばやさ」が高く、ハッサムは「こうげき」が高い。どちらが強い、というわけではなく、それぞれに強みがある。
(もちろん、実際に戦わせる際にはこっちのほうが強い、みたいなのはあるだろう)
エレキッドとププリンは進化前のポケモンだが、一作目には登場せず、二作目で登場している。進化後のエレブー、プリンは一作目から登場しているので、進化前のポケモンがあとから追加されたという形だ。プリンについては3文字だし、より短い名前がつきづらかったのかもしれない。
(ちなみに、同様の手順で追加されたピッピの進化前は、ピィだった)
イシツブテ、テッポウオ、メリープ、あたりはもう本当に純粋に進化して名前が短くなったとしか言いようがない。そういうこともある。
ただ名前が長くなる要因は、強くなるからではなく、ただ単に後からつくられたほうが情報量を増やしたいから、かもしれない。そこらへんは、中身のない記事なのでわからない。