日記:「アメリ」

 

近頃、映画って結局他人事なんだな、というようなことを思うようになってきて、それに没頭できない気持ちを強く自覚するようになってきた。

アメリで描かれていることも、重大さの大小はあれど、他人事だ。しかしながら作中で描かれるささやかな他人事が、すっと心のなかに入ってくる感覚があった。うまく入り込めた。

 

アメリというすこし内気な女の子が、さまざまな形でいろいろな人々に関わっていくお話しになっている。例えば偶然にも発見した、数十年前にかつて少年だった人が隠した宝物を、本人に届けに行く話とか。たわいもないこと。ささいなこと。でも本人にとってはとても大事なこと。

癖のある演出も多いが、要するにこの作品で描かれていることは世界を彩るためのちょっとした工夫だ。そしていささか工夫にのめりこみすぎた人間が、素直に前に出るためのちょっとした勇気の大切さだ。

簡単に言うけれど、そういうちょっとした素敵なエピソードで観客を夢中にさせることは容易ではない。あなたが夢中になれるかはわからないが、少なくとも俺が夢中になれたのはすごい。

以降、すこしだけネタバレも交えて何か言う。

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癖のある演出も多いが、と書いたが、そういう癖のある演出が好きな自分がちょっと悔しい。

ただ、チープなCGがたまに使われていて、それはいただけない。どきりとするシーンで心臓を映してみたり、そういうの。これがギャグ調の邦画だったらこういうことは思わない。しかし、アメリは、癖はありつつも、むしろ癖があるからこそ映像自体がひとつの作品になっている。チープなCGが、その良さを邪魔している感じがする。

 

どうして作品にうまく入り込むことができたか。

きっとアニメをよく見るから、露骨で癖のある演出に慣れているというのもある。

でも、夫をなくした婦人の身の上話を滔々と語られるシーンが利いているのではないかなぁと思う。

あの時点では、アメリは彼女の話を、目標に対する障害というか寄り道というか、どうでもいいこととして聞いていたんじゃないかと思う。(もちろん、俺がどうでもいいこととして聞いていただけで、アメリにとってはそうじゃなかったかもしれない。) しかしながら彼女は自分がうまくいき始めた後、(お行儀のいいやり方ではないが、)婦人の下にもささやかな幸せをもたらそうとする。

そこに価値観の変化がある。

最初はいかにもどうでもいいことに見えていた話に、向き合って、なんらかの行為をあてがう。本人にとって大切だったものに寄り添う。たとえ自分にとって大切ではないとしても。

 

最近は、いろいろなことがよくわからなくなって、すべてどうでもいいように思えてくることが多い。しかし、どうでもいいものに対して向き合えば、見えてくるものがある。そんなことを感じた。

アメリがそういう話だったかというと、違う気もするけど。

映画から何かを読み取るのは苦手なので、誘発された自らの感情の話をしてしまいがちだ。