日記:キャロル

1950年代のアメリカを知らない。それどころか現代のアメリカも知らない。

しかしながら、電話、車の形、街並み、いろんなところに雰囲気を感じた。

この雰囲気こそが、きっと1950年代のアメリカなのだろう。

こういう1950年代のアメリカを舞台にしたラブロマンスとして、とても洗練された作品だと思う。

同時に、洗練されたラブロマンスはそこまで好きじゃないのかもしれない、というようなことも思った。

 

ネタバレあり。

 

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映像は極めてすごい。上にあげたような舞台もそうだが、人間の描写も美しい。

映像を言葉に分解して語ることは下手だから仔細には触れないが、視線や、いろんなものの描き方がすごい。

物語における構図もきれいだ。最初にキャロルを目で追っていたテレーズと、終盤で(露骨に、ともすれば無様なまでに)テレーズを目で追っているキャロル。こういう対立を物語の中に自然に落とし込んでくるセンスを評価せずして何を評価できようか。

ただ個人的には、やっぱりそこまで好きではない。

しかしこれは好みの問題だ。キャロルが一級品の作品であることには変わりないだろう。

 

 

キャロルとテレーズの恋には障害がある。キャロルの娘の親権をめぐった争議だ。

これには作中でキャロルが結論を出したように、キャロルの側にも問題がある。あるいは、映画の冒頭までは問題がなかったのかもしれないが、キャロルとテレーズが体の関係を持ってしまった時点でやっぱり不利になる。まだ離婚は成立していないのだから。だから、キャロルの側でああいう譲歩をして、それでも娘に会う機会を設けるように要求するくらいがちょうどいいだろう。といって、1950年代のアメリカの法律には詳しくないけれど。

こういう障害は、外部にあるものだ。

 

個人的には、

むしろその二人の内部がどのようにかみ合って(かみ合わなくて)、わかって(わからなくて)、その結果、人間が人間にどのように向き合うのか、あるいは向き合わないのか、そういうところが気になる。これは外部にはない問題だ。

キャロルにおいて、二人が向き合った場面は、本当の本当にラストシーンにあるのだろうと思う。

再会の約束もせずに離れていったあとに戻ってきたキャロルと、キャロルの言葉を一度はふいにしたテレーズ。

そこからが見たいところなのに、と思うところではあるが、そういうのはラブロマンスの範疇ではないのかもしれない。作品としては、あそこで終わるのが一番いいだろうし、その先に何があるのかは言わずもがなだろう。それはわかる。

というわけで、俺はラブロマンスがあまり好きではないのかもしれない。