日記:よくなってきた

なんとなく精神が上向きになってきた気がする。

もちろん、つらいことはある。例えば口内炎が痛い。自宅で使っているキーボードがきかなくなってきた。何らかの期限が迫っている。

しかし、何でもないことに嫌気がささなくなってきた。

この「なってきた」というのはせいぜい2,3日のことで、明日どうなっているかはわからないけど。

 

最高に理想的な状態は、生活そのものが楽しい状態だ。

ジブリの映画とかで、やたら楽しそうにシーツを干し、やたら楽しそうに目玉焼きをつくる人間が描かれたりする。

(これはイメージで実際に目玉焼きだったかはわからない)

それになれたらよい。

ただ、これはハードルが高すぎる。

 

今はたぶん、やり過ごすように生活をしている。

目的のない時間稼ぎだ。

それはすこし悲しいから、毎日少なからずいいことを見つけたいと思う。

日記:『夜は短し歩けよ乙女』

 あれこれと異なった面白味を追い求め続ける、というのはおもいのほか難しい。

 人は、悲しみや苦しみと向き合わなければならないことが多い。自然、面白いことからテーマを引き出すより、悲しみや苦しみからテーマを引き出すほうが楽だ。テーマは、共感できない人間にさえ何かをつきつける。しかし面白味は違う。それはパフォーマンスであり、観客を面白がらせることができないのならすべて無意味だ。面白がらせようとしているのに面白くないその悲哀が、人間を魅了することもあるけれど、それはやっぱり副産物である。面白味、というのは逃げ場なき真剣勝負だ。

 ネタバレありません。

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ミステリ読みになりたい:『毒入りチョコレート事件』感想

 なら読め。

 これは数年来のことだが、ミステリ読みになりたいと言いながらちっともミステリを読まない生活をしてきた。差し迫ったものがないと読まないのかもしれない、と思うから、「ミステリ読みになりたい」と題してシリーズものっぽくしてみた。

 ブログの記事としては以下の縛りを設けたい。

 

1.解決編を読む前に推理をして、文章を残す。

2.類題についても触れる。(毒入りチョコレート事件なら、毒殺のように)

 

 1.はあまりブログで見ない気がする。メリットがないからだ。華麗な推理をしても解決編を読んだ読者は知っていることだし、ひょっとすると解決編を読んだうえで書いたのかと邪推されかねない。他方、とんちんかんな推理は恥さらしだ。しかし、こういう縛りを設けなければ、必ず推理をせずに読み進めていくという自信がある。何も知らずにミステリを読めるのは一回きりなのだから、恥をかいてでも推理を楽しもうということだ。ただ間違った/足りない推理はそのまま載せようと思うが、万が一推理が完璧に正解した場合は、お蔵入りにしたほうがいいかもしれない。これは、おいおい考えていきたい。2.は、ネタバレのない部分にも、何か読むに堪えうる文章をのせておきたいというだけの話。

 

  ネタバレをする前にざっと全体の感想を言うと、事件がかなり冒頭で起きてくれるのが嬉しかった。舞台は秘密?の会合。参加者たちは現実に起こった事件をネタに、推理合戦で知恵比べをする。偶然被害者の手に渡ったチョコレートによる、数奇な毒殺事件の解決はいかに。

 じわじわと雰囲気を盛り上げつつついに被害者が!というのも楽しいんだけど、個人的には読み進めるのがおっくうになってしまう。ある事件をとりあげて、その推理をぶつけあうという展開は、早々に本題に入ってくれてうれしい。

 

 ミステリ読み未満のしゆが知っている毒物を扱った事件としては、古畑任三郎の2nd seasonの最終回である「ニューヨークでの出来事」、城平京の「名探偵に薔薇を」、などがある。「ニューヨークでの出来事」はたまたま夜行バスで古畑が隣り合った人物が語る事件を、古畑が解決してしまうという筋立てだ。一切回想シーンを使わない会話劇としての出来栄えは三谷幸喜らしいし、一種の安楽椅子探偵ものとしても楽しめる。

 「名探偵に薔薇を」は派手な大立ち回りを見せる痛快な推理劇である一部と、静かなパズルとなる二部で構成されている。二部におけるページをめくるたびに様相を変えてくる推理の様子は、推理合戦をおこなう本作に通ずるものがあるかもしれない。名探偵を扱った人間ドラマとしても出来がいい。この作品における探偵役たる瀬川みゆきは、一作しか登場しておらず難事件を数多く解決したイメージがあるわけでもないのだが、しかししゆが最も好きな探偵の一人と言える。

 

 以降、ネタバレ

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日記:Q. 綺麗な景色を見たとき、人はどうすればいい?

A. 綺麗だと思えばいい。

 美しく世界を切り取る人たちの撮った写真以上のものを、自分は手に入れられないのではないか、ということを思う。写真のなかの世界は、まるでこの世界ではないみたいに美しい。誰かが撮った写真の街にあこがれても、本当にその街を歩いて楽しめるかはわからない。綺麗な景色を見たとき、ただ綺麗だと思えばいいはずなのに、それがどこか「実際に行った」という行為の確認みたいな色を帯びる気がする。純粋な感動はどこに行ってしまったのだろう。同様に、アニメーションのなかの街に何らかの良さを覚えることもあるけど、自分がそこを歩いても「こんなもんか」と思うしかできないのがありありと想像できる。

 ひょっとすると俺がただ冷めた人間で、現実の風景に感動できない、薄っぺらい人間であるというだけなのかもしれない。これは結構な絶望だ。言葉やアニメや写真や、そういった創作物が好きだからこそ、彼らが称える美しいものに感動できないことがかなしい。

 ここまで書いて、三島由紀夫金閣寺を思い出した。主人公の親がさんざん美しいと語っていた金閣寺を始めて見たとき、彼は美しいと思わない。あの小説を読んだとき、なんとなく安心したのを覚えている。初めて金閣寺を見たとき、自分もすこし拍子抜けだった。しかしその主人公は時を経て、金閣寺に美を見出し、更には火をつけるに至る(こんなストーリーで合ってたっけ?)。俺もいつか、そうした美を何かに見出すことがあるのだろうか。

 むしろ、色々なものを「こんなものか」と確認しながら、ぼーっと時間をすごす旅なんかに行きまくって、それもそれで生き方としてはいいものかもしれない。

メモ:複合形容詞リスト1(X+イ形容詞語幹+な:気軽な/手薄な/etc)

前書き

趣味でつくった複合形容詞のリストです。

「手+薄い」が「手薄な」となるように、「-い」で終わる形容詞に、何らかの要素が前接することで、「-な」となるものを収録しています。

収集方法は根気。表示は元になる形容詞ごとの五十音順です。「元の形容詞-複合形容詞」と表記しています。

(うまいことやれば大規模なデータから機械的に収集できると思うので、甘えです)

要するに手動で集めているので、抜けに関してはご指摘くださるとありがたいです。

 

複合形容詞リスト1

青い-真っ青な

赤い-真っ赤な

厚い-肉厚な

甘い-甘々な,大甘な,べた甘な

薄い-手薄な

軽い-気軽な

臭い-物臭な

暗い-真っ暗な

黒い-真っ黒な

白い-真っ白な

少ない-言葉少なな

狭い-手狭な

高い-声高な,割高な

近い-手近な,身近な 

長い-気長な

早い-足早な

深い-目深な,欲深な 

太い-骨太な

丸い-まん丸な

短い-手短な

安い-格安な,割安な

弱い-気弱な,ひ弱な

悪い-意地悪な,性悪な

 

おまけ

 味のように、形容詞でないものが接頭辞を伴い、「大味な」といった形容詞としてふるまうものもあります。「小刻みな、無感動な」なども同様。これのリストもつくりたいですが、手作業で収集するのはちょっと難しいかもしれません。

 否定接頭辞については有名な話なので、そこを掘れば色々まとまった資料が見つかりそうではありますが、それ以外との共起関係が想像つかないですね。

 

日記:古い小説のように死を語る

 随分とツイッターに脳をおかされているので、死について語るというと、追い詰められた人の絞り出す言葉のように感じる。実際、追い詰められた人の言葉であるときもあれば、そうでないこともある。

 もっと死を、冷静に見つめてもいいのかもしれない。すこし古い小説を読んで思った。

 そうしろとか、そうできるとは言わない。しかしながら、死について触れること、それ自体を自分が禁忌のように感じていると気づいた。禁忌のように感じながら、たまに考えてしまう。だからこそ、追い詰められた言葉になってしまう。

 死にまつわる感情をそのまま吐き出すのではなく、まとまった文章としてアウトプットするということは、おおむね嘘をつくということだと思う。整理されていない感情は音と色が混ざり切ったようなもので、捉えがたい。捉えがたいものを捉えようと順序立てる時点で、何かがずれていく。そしてそれが一種の物語になると、酩酊がうまれる。こうなっていくと、文章を書く動機だった感情は、もはや文章を書くための道具でしかなくなる。死にまつわる感情は、そうしているうち、切実な何かから単なるテーマへと落とし込まれる。

 となるのは、俺が何も考えず文章を書くことになれているからだし、文章を書くことに快楽を覚えるからだろう。それでも、感情を言葉に変えて気持ちいいものに変換できるなら、それに頼ってみるのも一興だろう。

日記:LA・LA・LAND

 まず、ネタバレをしない全体的な感想。

 映像の快楽として最高だった。

 賛否両論があるのはよくわかって、よくもわるくもディズニーランドのショーみたいな感じ。これはミュージカルだからというわけではない。だったらディズニー映画みたいと言う。

 ディズニー映画それぞれのことはよく知らないけど、各作品の要素やエッセンスを引き抜いてきて切り貼りして王道でいい感じにまとめあげたものがあそこでやってるショーで、ラ・ラ・ランドも似たものを感じる。もちろん、それに終始するわけではないし、作品独自の新規性みたいなものもあるんだろうという気はする。

 とかいうけど、ラ・ラ・ランドで名前ががっていた作品も全然見ていないし、カサブランカだって名前しか知らないし、オマージュにひとつも気づかないような人間だから、基本的には知ったかぶり。知ったかぶりだからこそ、これが新しいのか焼き増しなのかはよくわからない。

 そんな映画もミュージカルも見ない人間なりの感想を、ここ以降はネタバレ容赦せずに書いていきます。

 

 

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