日記:「マリみて」で描かれる関係性と「百合」

具体的に作品について語ることを避け、「百合とは」みたいなことについて語ることは得てして不毛だ*1。以下のインタビューの冒頭でも、そうした共通認識の一端が語られている。

宮澤 そうですね…本当に何も話したくないのですが……百合が好きな人たちの間には「百合について語るな、百合をやれ」という感覚が共有されていると思うんです。雑に語ると炎上しますし、ここで話したことが意図しない形で広まってほしくもない、もしそうなったら俺はお前たちを斬らねばならん。そういう気持ちでやりますので、よろしくお願いします。

「百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー」

https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0

この記事では、不毛なことをやる。だから、この記事はおそらくすぐに消える。

この記事でやろうとしていることは、百合の名作とされている作品の特徴をふまえて、その作品において、百合とはどういう関係性だとファンが認識してきたかということを探ろうとする試みだ。

ここで重要なのは、百合を個人の信念に基づいて定義しないことだ。既に広まった百合という言葉について、個人の信念に基づいた定義を披露することは、独りよがりでしかない。そのため、百合を好む人間たちに名作された作品を通じて、百合について考えることを志向する。

ただし、今回取り上げる「マリア様がみてる」は1998年に始まった小説シリーズであり、これが現在における百合に対する認識を反映しているとは限らない。また、私は「マリア様がみてる(以下マリみて)」が流行っていた当時にコミュニティの中で作品に触れていた人間ではない。だから、この記事で行う解釈が本当に正しいかはわからない。

しかし、ここで語る「百合」が間違っていても、一つの百合とされた名作を通して、少しでも百合という言葉への解像度があがればいいと思い、この記事を書くことにした。

 

*1:百合の歴史的な由来は「伊藤文學 百合」で調べてください

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日記:趣味について(2018年の振り返り、2019年の目標)

一年の計は元旦にあり。翻って、一年の計を決めることになるので、今日こそが実質元旦になる。

この記事では、2018年の自分の趣味に関する振り返りと、2019年の趣味に関する目標を書いてみる。

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日記:自分でつくった短歌を解析する

1.はじめに

短歌を作り始めてそろそろ1年になるので短歌を形態素解析して、頻出する単語*1とかを計量しました。

対象は2017年12月22日~2018年12月22日までにツイッターでつぶやいた200首です。

解析と仰々しいことを書いていますが、自然言語処理・統計系のほにゃほにゃに詳しくないので、本当に数を出しただけです。

(特定の表現の多寡を考えるためには他のデータと比較することが大切ですが、特にそういうこともしていません)

 

*1:形態素解析における「形態素」をこの記事では「単語もしくは語」と表現しています。

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日記:「やがて君になる 佐伯沙弥香について」

 読んだ。

「佐伯沙弥香について」と題するスピンオフにふさわしく、キャラクター形成の細部が丁寧な作品だった。

感想:佐伯沙弥香は大学選びでも人間関係を理由にして遠くに行く選択をしてほしい。たぶんそうはならないけど……。

ネタバレあり。

 

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日記:お茶

スーパーや自動販売機でお茶を買うとき、毎度迷っているような気がするので、自分の中でのペットボトル茶のランク付けを明確にしてみた。

 

1位 爽健美茶

2位 十六茶

3位 おーいお茶

4位 綾鷹

5位 生茶

 

個人的に粉っぽい?感じのお茶が苦手なんだろうと思う。

いちばん好きなのはジャスミンティーです。

小説:理想の旅

私にとって理想の旅というのは、きっと旅未満の何かだ。

通学中の電車で、学校に行きたくないなと思って、いつも降りる駅を乗り過ごす。しばらく電車の窓越しの風景を眺めて、よく知らない駅に「名前がいいな」というそんなきっかけで降り立つ。定期が使えないからちょっと面倒かもしれないけど、それでいい。

(電車通学だった時期なんて一度もない。)

降り立った駅からは、なんと海が見える。白い看板に、真っ黒いペンキに古ぼけた字で、さっきいいなとおもった名前がひらがなで書いてある。看板はひとつしかない。ちいさなちいさな駅だ。駅員さんがいるのは小屋みたいな立方体の駅舎で、待合室も兼ねている。椅子にはおばあちゃんの家で見かけるような手作りの敷物が敷いてあって、なんとなくほほえましい気持ちになる。「××駅来場記念ノート」みたいなよくわからない名前のノートが置いてあって、なかには子供の落書きや、出張に来たという大人の他愛もない報告が載っている。

ノートのページをめくっていくと、「学校をさぼって知らないここに来ました。どこか遠くに行きたくて」という記名をしていない誰かの報告が書いてある。

これは私だ、と思う。もちろん違う人で、でも誰かがまったく同じように同じことをしていて、そういうつながりにあたたかさを感じる。2年前の冬。字が下手な人が、走り書きをどうにかそれっぽく見せて、取り繕っているようなそんな字で。

そんな旅がしたい。