日記:「メリー・ポピンズ」
ディズニーのミュージカル映画。
古い映画だと思うけど、人が飛ぶとか、部屋がひとりで片付くとか、そういう工夫がないと撮れないシーンが多い。極めつけはアニメと実写が織り交ぜて描かれるシーン。今の感覚で見ると、すこし不自然だけど、それも不思議な懐かしさがあっていい。
いちばん好きなのは煙突をのぼって屋根の上からロンドンの夜景を見たり、煙突の掃除人たちがダンスをしたりするシーン。屋根の上に、掃除人と鳥と星だけ知っている別世界が広がっている感じがなんとも言えずよい。おそらくセットだけど、それも箱庭っぽさにつながっている。
ディズニーランド で聞いたことがあるような曲もあり、行きたくなった。
ディズニーランドが描き出しているちょっと懐かしい映画の世界の一端に触れられた気がする。
日記:だってメラミよりメラゾーマのほうが強そうに聞こえる
最近、映画の感想しか書いていなかったので、中身のないことを書きたい。
しかし、中身のないことを書く、というのをわざわざやるのは難しい。
書かないと無なので記事にならないが、中身のあることを書いてしまってもいけない。
というわけで、進化形より進化前のほうが名前の長いポケモンを調べてみた。
理由としては、「名前って長いほうが強そうだよね」という素朴な直観があって、すこし気になっていたからだ。たぶん誰もが思ってる。
(濁音と強さ、みたいなことも考えている人もいるらしい。そういう感覚もなんとなくある)
進化というものを基準にしているのは、進化したあとのほうが進化する前よりおおむね強いだろうという雑な考え。
対象範囲は、自分がプレイしていた世代までの386匹。
長い、の定義はちょっと難しい。
文字数で数えると「シェイミ」は4文字だが、モーラ数で数えると3モーラだ。
日本語を考えるときは普通モーラ数で考えるが、ポケモンの名前は一時期まで5文字縛りでやっていた業界なので、文字数で考えるべきなのかもしれない。
これは中身のない記事なので、とりあえずどっちもとりあげておこう。
2度進化するポケモンについては、名前が短くならない進化についても括弧付きで進化形を付記しておく。
コラッタ → ラッタ
ストライク → ハッサム
テッポウオ → オクタン
こんだけ。(抜けもあるかも)
数えたわけじゃないけど、おおむねポケモンは進化しても名前の長さが変わらないか、もしくは増していくのが一般的っぽい。
詳細を見ていくと、進化によってコ(子?小?)が外れるポケモンが2匹いる。これは意味的に成長すればコが外れるのが自然なのかもしれない。
あとストライクとハッサムの関係は特殊で、システム上は進化だけど、攻撃や防御といったパラメータの合計は同じ数字になっている。どの能力が強いか、という割り振りだけが変化していて、ストライクは「すばやさ」が高く、ハッサムは「こうげき」が高い。どちらが強い、というわけではなく、それぞれに強みがある。
(もちろん、実際に戦わせる際にはこっちのほうが強い、みたいなのはあるだろう)
エレキッドとププリンは進化前のポケモンだが、一作目には登場せず、二作目で登場している。進化後のエレブー、プリンは一作目から登場しているので、進化前のポケモンがあとから追加されたという形だ。プリンについては3文字だし、より短い名前がつきづらかったのかもしれない。
(ちなみに、同様の手順で追加されたピッピの進化前は、ピィだった)
イシツブテ、テッポウオ、メリープ、あたりはもう本当に純粋に進化して名前が短くなったとしか言いようがない。そういうこともある。
ただ名前が長くなる要因は、強くなるからではなく、ただ単に後からつくられたほうが情報量を増やしたいから、かもしれない。そこらへんは、中身のない記事なのでわからない。
日記:言の葉の庭
なんといっても映像がすごい。
ジブリは森や田舎、自然、街並みにしてもノスタルジーを感じさせる街並み、もしくは西洋式の街並み、そういうのを描くのが得意なところだ。
しかし、日本の、都市部の風景を、駅を、マンションの群れを、信号機を、標識を、どちらかといえば無機質なものをシャープに描かせたら、新海誠に敵う人はいないだろう。
雨も、無機質の部類に入ると思う。雨は生き生きとしていない。時代の洗礼を受けて劣化しない。透明で、冷たく、あたたかくない。その雨に包まれたとき、どちらかといえば有機的であるはずの公園も、木製のベンチも、すこし無機質の側に寄る気がする。
少なくともこの作品において、新海誠という人は、あたたかく、輪郭のぼやけたものとして、自然を描かない。どこまでもシャープなものとして自然を描く。
そういうところがいい。
以降、ネタバレあり。
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日記:「エド・ウッド」
エド・ウッドとは史上最低の映画監督と名高い伝説的な映画監督だ。
彼の名前が知れ渡っているのは、史上最低の映画監督であるにも関わらず、映画への情熱は本物だったからだという。
そのエド・ウッドの逸話の数々を下敷きにしてティム・バートンがつくった映画がこのエド・ウッドとなる。エド・ウッドの逸話を知らない観客は、彼の奇想天外なエピソードの数々を追うだけでも面白いだろう。
この作品の核となるのは、落ち目の名優ベラ・ルゴシと最低の監督エド・ウッドの家族愛にも似た友情だ。それが単なる変人のエピソード集にはない感動をもたらす。
自分が視聴した際には、エド・ウッドについて前知識が多少あったので、前半はエド・ウッドの逸話を映画としていい感じにまとめただけだなーという退屈感も多少あった。しかし中盤以降、鬼気迫るベラ・ルゴシを描くホラーを意識したワンシーン、あまりにひどい映画に暴徒と化す観客、観客から逃げ出すエド・ウッドに口説かれて集まってきた仲間たちの不思議な連帯感、妥協に妥協を重ねる映画の撮影、見ていて楽しいシーンが続く。
共同体にうまく包摂されない人たちが寄り集まってつくる何らかの世界。俺は、そういうのが好きな人間だ。だからか、エド・ウッドとその周囲の人間の馬鹿騒ぎみたいな日々は、見ていて安堵する面もあった。
日記:裏切りのサーカス
最近、プリンセス・プリンシパルという百合+スパイ+スチームパンクな作品が放送しているので、スパイ映画を見てみることにした。
プリンセス・プリンシパル2話でアンジェが名乗るル・カレという名前は、この作品の原作者から取られている。
諜報部の中枢に入り込んでいる裏切り者(=もぐら)を探すというストーリーで、敵地に乗り込んで派手に銃撃戦を繰り広げたりはしない。また、裏切り者の正体についても、「こ、こいつが犯人だったのかー!」といった驚きもない。先読みばかりしたがる観客なら、開始30分で情報流出の仕組みに検討がつくだろうし、1時間もすれば誰がもぐらなのか察せるだろう。
派手さや衝撃の真実を追求する方向ではなく、スパイという仕事を地道にうつした映画だった。そういうのが好きか嫌いかは、人それぞれだろうが、個人的には好み。
また、もぐらの正体こそ衝撃的ではないが、二度目に見直したときに膝を打つシーンは少なくない。きわめて口数の少ない主人公の心情が、かなり巧妙に描かれていることに気づくだろう。背後で動いていた 人間の暗躍ぶりにも惚れ惚れする。
プリンセス・プリンシパルの1話もアクションこそ派手だったが、見直して気づくシーンがかなりあって、きっとこういう映画の影響を受けているんだろうなぁと思う。インタビュー記事(電撃 - 橘正紀監督、梶浦由記さん、湯川淳CPに聞くTVアニメ『プリンセス・プリンシパル』誕生秘話)で「ただ、『裏切りのサーカス』はリアルすぎたので、本作の参考にするには厳しい部分もありました。」とあるけど、きっちり文脈は受け継いでるんじゃないか。
日記:「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」
※アニメ版の感想ではなく、1993年の実写映画の感想です。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」に関連して、個人的な思い入れがある。
思い入れといっても、好きなアイマス二次創作の作者さんがこの作品を好きだった、というだけの話。「打ち上げ花火~」に思い入れがあるわけでなく、その人に思い入れがあった。作品自体は初めて見た。
ずっと見ようと思っていたのに、いつの間にかアニメ映画になってしまって、出遅れた感も否めない。そんなこんなで、ここ最近岩井俊二作品を見ていたわけである。
リリィ・シュシュは怖そうなので、しばらく見ないつもり。
この先ネタバレあり
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