日記:「パターソン」

パターソンに住むバスドライバーのパターソンという男のお話。

彼の趣味は詩をつくること。

何気ないようでたくさんのことに溢れている彼の日常とか、詩作とか、そういうのがメインの映画です。

一番いいな、と思ったところは、少しずつ詩ができあがっていく様子がちょっとリアルに描かれているところ。

ある瞬間にぱっとできあがるものではなくて、先が思いつかなくなって止めたり、時間をおいたら続きが思いついたり、そういう思索の過程が「わかる~」ってなる。これは詩だけじゃなくて、小説を書いたり、漫画を描いたり、そういう創作っぽいことに限らず企画をつくったりする人にも通ずる感覚だと思う。漫画家漫画とかだと、こういうことをふまえた上で大げさに演出されちゃうんだけど、いい意味で淡々としているのが素敵だった。

詩の内容もいい。

 

上で書いたように、劇的なことはあまりない映画なんだけど、それでもパターソンが何気なく出会う詩を書く人とのやりとりがエモーショナルだったりして、そういう成分を求めている人も楽しめると思う。

ここから踏み込んで書いていきます。ネタバレもまぁあるかもしれないけど、何に踏み込んでいるかと言えば、自分の内心に踏み込んでいるだけです。

paterson-movie.com

 

 

日常の素敵さみたいなものを描いている作品を読むと、たとえその作品が楽しくても、自分はそれに耐えられないだろうな、という気持ちになる。

きのう何食べた?」とかもそうだった。あれは、いろんなことがありつつも、毎日食事をつくって、それが楽しかったり、おいしかったり、人と一緒に食べられることがそれだけでよかったりそういう話なんだけど、「いいな」と思う一方、自分はこういう生活を苦しいと感じるだろうなとも思う。

そもそも家事が苦手だから、とかそういう話じゃない。いや、そういうところこそが、繰り返しへの苦手さを克明に物語っているのかもしれない。

 

日々映画を見ているけれど、「映画があれば毎日頑張れる」とかそんな心境は強くない。

少しはある。なにもないよりは映画があったほうがいい。どうしようもないことを悩むよりは映画を見たほうがいい。映画を見ることが、これから自分が何かをする上で生きるかもしれない。小説を書く趣味もあるし。

だが、むしろ、「映画を見て、今まで味わったことのないような感覚を得たい」という気持ちのほうが強い。

それは日常の1ページをいとおしむ感情というより、「どこかにたどりつきたい」「何かを見つけたい」という想いの発露だ。繰り返す日常の一環として映画を楽しむのではなく、繰り返す日常から抜け出すために映画を見ている。そういう側面が強い。

 

これをふまえると、パターソンという映画はしゆとすこぶる相性が悪い。それでも楽しめたのだから、すごいことだ。ただ映像や描き方や演出や、そういうものがよかっただけではない。

あくまで無口なパターソンには何も語らせないところが大切だ。広告とかには「いつもと変わらない日々」とか「かけがえのない」とか書いてあるが、作中ではそういうことを言わない。

(無論、作中にでてきたあの日本人はある種そういうことを言っているけど)

だからこそ押しつけがましくない形で、そういう生き方をじっと見つめていられたのだと思う。

 

あと、ふと思ってしまった。

どんなに言葉を並べたって、俺は彼ほど一週間にきちんと向き合えていない気がする。

時間を捨て去って生きているような心地さえする。ありもしない未来を尊び、目の前にあるかけがえのないものを見失っているような錯覚があった。