日記:得手を疑い、不得手だけを信じていた頃

一介の学生を主人公にした漫画で、このキャラクターは××が得意、なんて言われるとうすら寒い気持ちがした。そういう時期があった。

そんなちっぽけな得意は、それがもっともっと得意な人間に塗りつぶされて、見えなくなる。褒めることがない相手を褒めるために、強引に個性を見出して、それにどんな意味があるのだろう。そう思っていた。

そういうことを思う自分は、小説や漫画ばかりに浸りすぎていたのだろう。

だってこれは要するに、トップレベルでなければ得手不得手になど意味がないと言っているに等しい。

 

トップレベルの人間というのは少ない。トップレベルだからだ。多かったら、それはもはやトップレベルではない。

だからほとんどの世界に、トップレベルじゃない人たちが参加していて、それでもなんとかやっていこうとしている。なんとかやっていけている。もちろん倒れることもある。しかし倒れていく人間ばかりでないのも事実だ。

こういうことを痛感したのは、大学に入ったころだ。

所詮誰かに劣る個性だ、なんて思わず動いて、なにかを成し遂げる人たちがいる。そういう人たちが、それなりの評価を受けたりする。対する自分は、身動きできずにただただ時間をやり過ごしている。

自分には、何ができるのだろうか。

そんなことさえわからないまま、自分の不得手ばかりに気を取られ、時間がじりじりと目減りしていく。

 

(こんなブログを書いたが、自信のない人間ではない。むしろ自分の有り余る弱点に目をつぶってしまうほど、自分が好きな人間だと思う。まとまった文章を書くと、どうにもこういう嘘がでてしまう。)

(ただ何が得意かと言われると答えられないので、そういう意味で自分の強みがわからないところは嘘ではない。強みを持ちたい。)