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日記:Q. 綺麗な景色を見たとき、人はどうすればいい?

A. 綺麗だと思えばいい。

 美しく世界を切り取る人たちの撮った写真以上のものを、自分は手に入れられないのではないか、ということを思う。写真のなかの世界は、まるでこの世界ではないみたいに美しい。誰かが撮った写真の街にあこがれても、本当にその街を歩いて楽しめるかはわからない。綺麗な景色を見たとき、ただ綺麗だと思えばいいはずなのに、それがどこか「実際に行った」という行為の確認みたいな色を帯びる気がする。純粋な感動はどこに行ってしまったのだろう。同様に、アニメーションのなかの街に何らかの良さを覚えることもあるけど、自分がそこを歩いても「こんなもんか」と思うしかできないのがありありと想像できる。

 ひょっとすると俺がただ冷めた人間で、現実の風景に感動できない、薄っぺらい人間であるというだけなのかもしれない。これは結構な絶望だ。言葉やアニメや写真や、そういった創作物が好きだからこそ、彼らが称える美しいものに感動できないことがかなしい。

 ここまで書いて、三島由紀夫金閣寺を思い出した。主人公の親がさんざん美しいと語っていた金閣寺を始めて見たとき、彼は美しいと思わない。あの小説を読んだとき、なんとなく安心したのを覚えている。初めて金閣寺を見たとき、自分もすこし拍子抜けだった。しかしその主人公は時を経て、金閣寺に美を見出し、更には火をつけるに至る(こんなストーリーで合ってたっけ?)。俺もいつか、そうした美を何かに見出すことがあるのだろうか。

 むしろ、色々なものを「こんなものか」と確認しながら、ぼーっと時間をすごす旅なんかに行きまくって、それもそれで生き方としてはいいものかもしれない。