日記:「あいにくの雨で」

この作品で提示される謎はずばり「雪の密室」 

現場に残っているのは被害者だけで、被害者は他殺体として発見される。たった一筋の足跡が幻想的に、視覚的に謎をはっきりと提示するから、雪密室の作品はきれいだ。しかしこの作品は雪の密室を扱うくせに、「あいにくの雨で」というタイトルだし、なんと本を開いて最初の章で密室の謎解きが終わってしまう。こういうところに、麻耶雄嵩ならではのゆがみがある。

 

たぶん青春ミステリに分類される。探偵役は高校生。被害者は高校の友人の肉親。事件の捜査の傍ら、生徒会のスパイ騒ぎの調査もする。どこか荒唐無稽な設定だが、この作品に漂う無機質な雰囲気になんとなく説得される。

はじめは友人のために謎を解こうとする主人公だったが、事件の背景にある秘密が露見すればするほど、被害者が増えるほど、友人は追い詰められていく。スパイ騒ぎの調査もエスカレートしていく中、ついに物語は一つの結末を暴き出す。

 

この作品を一読した段階で解説を読んだとき「氷菓」と並べて語ろうとしているのを見て、それはどうなんだろうと思った。しかし、よくよく考えてみると、物語の最後に提示されるどこか無機質で諦念に満ちた(と表現するのが正しいかはよくわからないが、)どうしようもないことが過ぎ去ってしまい、決して追いつけない気分に陥る感覚は、古典部シリーズのような青春ミステリにも似たところがあるかもしれない。

ただ氷菓の真相を探偵役が受け継いでいけるのに対して、この作品の真相は受け継ぐようなものでもない。

探偵(役)は謎を解決することができる。しかし、探偵(役)にできることは謎を解決することだけで、遡及して過去を変えたり、巨大な理不尽を打ち壊すことはできない。

ミステリは謎が解決されれば終わるものだ。だからこそ、解決したあとに残る諦観を(ハッピーエンドであれバッドエンドであれ)処理せずに終わることができる。

そこにミステリの無力があり、ミステリの可能性が眠っているのかもしれない。そう思わせる作品だった。

あいにくの雨で (集英社文庫)

あいにくの雨で (集英社文庫)