日記:「フランス白粉の秘密」

フランス白粉の秘密はミステリ好きなら知らぬ人のいないだろうエラリー・クイーンの二作目で、私にとってはこれが初めてクイーンの作品に触れる機会でした。ミステリ好きじゃないので仕方ないですね。

以前、麻耶雄嵩についてブログで書きました。

日記:「メルカトルかく語りき」「貴族探偵」(ネタバレなし) - しゆろぐ

ここでも最後に書いたのですが、麻耶雄嵩のデビュー作はクイーンの国名シリーズくらいは読んでいることが前提の作品らしいので、今回はそのクイーンの国名シリーズから、「フランス白粉の秘密」を読むことにした、というわけです。

端的に言って、面白かったです。登場人物紹介欄の人物の多さを見て卒倒(誇張)してしまい、半年くらいは積読状態だったのですが、読み始めてみれば鮮烈な死体発見シーンを嚆矢にして、めくるめく現場検証の描写にぐいぐい引き込まれていきます。

すこしネタバレかもしれませんが、密室で人が死んだ、とか。容疑者全員にアリバイがある、とか。そういう不可能を可能にするような派手なトリックはこの作品にはありません。しかし、だからこそ「どうやって犯人を特定すればいいんだ!」という問題がついて回るわけです。そんな中、探偵エラリー・クイーンは何気ない証拠品の数々から、実に論理的に事件の全体像を少しずつ解き明かしていきます。

たった一つのクリティカルな証拠、というものがないわけではないのですが、細やかな推理を重ねていくことで犯人の特定につながる、という構成が見事なミステリ小説でした。

ここから下はネタバレを含みます。犯人の名前は書いてませんが。

 

 犯人、全然わかりませんでした!

読者への挑戦状にも、「直感で犯人を指摘した気になるなよ」みたいな話があったので色々考えてみたのですが、なんにもわからなかったですね。

麻薬の取引現場に誰も残っていなかったシーンと、スプリンガーがいったん逃げおおせていたシーンをきちんとした証拠として認識できなかったところで敗北して、あとはひたすらとんちんかんなことばかり考えていましたね……。この二つに気づければ、犯人が死体発見の時間を引き延ばした理由や、今更そんなことをする理由がなかった人たちをきっちり容疑者から除外できたのですが。

何が重要な証拠か、ということを考える際、我々は直感的に重要じゃなさそうな証拠を除外してしまうものなのかもしれません。しかし、名探偵はそうではない。すべての証拠について、誠実に向き合って、真実を見つけ出す。この作品は消去法を用いているというところもあり、数々の証拠ひとつひとつが容疑者を特定する手がかりとして明確に機能しているので、ことさら「ひとつひとつの証拠から真実を手繰り寄せる探偵の手腕」のようなものが強調されていたと思います。それだけに、結局マリオンのスカーフの件が放置されているのは作品として惜しいような気がしますが……。

しかし反面、「重要じゃない証拠」を勝手に判断しないということは、暴かなくていい秘匿された情報を暴いていくことにも他ならないでしょう。

何が事件にかかわる情報かはわからない以上、探偵は事件の周辺に位置する人間関係の秘密まで暴き出してしまいます。この作品では、被害者と登場人物の不倫疑惑などがそういう秘密と言えるでしょうか。犯行時刻に誰が何をしていたか、ということも明確にしなければいけません。それが、知られたくない人間の素行を明かしてしまうこともあるでしょう。

この文庫版には解説の一環で、「フランス白粉の秘密」が発表された当時の書評も載っていました。その内容は要約すると「論理パズルとしては最上だが、人間が描かれていない」というものです。論理パズルとしての出来栄えを称賛するあたり、とても誠実な書評ではあると思うのですが、読み込もうと思えばこの作品から人間について読み込むこともできるのではないか、と思います。

情報の価値を勝手に判断せずすべての情報を大事にすることが真実を解き明かす方法である反面、情報の価値を判断しないということは解き明かさなくてもいい真実を解き明かしてしまうことでもある。これについてどのように考えるべきかということは、単なる論理パズルではなく、人間のお話なのではないでしょうか。こういうことを考えてしまうのは、真実の10メートル手前を読んだ直後だからなのでしょうか。

日記:「真実の10メートル手前」 - しゆろぐ

もちろん、「ある推理の問題」としてこの作品を上梓したクイーンは、論理パズルとして評価をされることを望んでいたでしょうし、こんな教訓めいた話は、多くのミステリから引き出せるのかもしれません。しかしこの作品が何より数々の手がかりを有効に用いて微に入り細を穿つ推理を披露する作品だったからこそ、そういう一面が際立っているように私には感じられました。