日記:「ブリッジ・オブ・スパイ」

スティーブン・スピルバーグ監督がつくる冷戦下におけるスパイの交換を題材にした映画。

スピルバーグがつくった実話を題材にした映画だと、シンドラーのリストとかが有名だけど、私はスピルバーグのそういうタイプの映画だとこれが初見だったり。

そういうタイプの映画と表現するのも冗長なのでどういうジャンルと言えばいいのかwikipediaを見に行ってみると、「歴史・伝記・ドラマ・政治・アクション・戦争・スパイ・スリラー映画」と書いてあった。長すぎる……。

 

ストーリーを簡潔に追うと、ソ連のスパイがアメリカで捕まり、裁判にかけられることになる。弁護士である主人公はスパイの弁護を任される。主人公は敵国のスパイであれ儀礼的に裁判を行うのではなく、公正に裁くことを求めて戦う。その中で主人公とスパイの中に奇妙な絆が生まれていく……みたいな。

こう書くと法廷劇と受け取られそうだけど、物語のクライマックスは、ソ連のスパイとアメリカ人の捕虜との交換を求め、主人公がソ連東ドイツの2国を相手取って交渉を行うところにある。

ただ、法廷劇パートにせよ、交渉パートにせよ、通底しているのは「アメリカ人としての誇り」ひいては人間賛歌というテーマだと思う。

 「アメリカ人としての誇り」――ある種の愛国心とも呼べるのかもしれないが、この作品で描かれる誇りは決して「敵国であるソ連に対する敵意」という形であらわれるものではない。

具体的な描写で言うと、ルール(法律)よりも国益を優先しろと言って主人公からスパイの情報を得ようとするCIAの人間に対して、主人公は「ドイツ系の君とアイルランド系の君をアメリカ人として承認するものは、憲法というルールだ」と言い放つ。

また、裁判の場面で主人公は、二重スパイになってソ連を裏切れという誘いを断ったスパイをたたえた上で、スパイを裁くにせよアメリカの法の下で権利をしっかりと与えて「我々のあり方」を示すべきではないか、それが冷戦における武器になるのではないか、という趣旨の発言をする。

つまり、単に自国を愛するのではなく、自分たちが誇る「アメリカ人としてのあり方」を自分たちが体現するということに、主人公はアメリカ人としてのアイデンティティを置いている。そういうものになじみがなかった自分としては、そこら辺の内容はとても興味深かった。ただ、それはアメリカ人に限った話ではなくて、やっぱり人間普遍の話でもあると思う。

 

そんなわけでタイトルにスパイと入っているものの、「スパイ映画」というわけではない。

しかしながら、冒頭、ソ連の老スパイ――アベルが捕まるまでの手際はスパイ描写としても賞賛に値する。シャツとパンツだけを身に着けた(いかにもおっさんという感じの)状態で警察が部屋に突入している、そんな絶体絶命の状況下でありながら、アベルは露ほども焦らずに証拠品の一つを隠滅してみせる。ゆったりとしたしぐさで自然に証拠隠滅を完遂するこのくだりは、スタイリッシュなスパイアクションとはまた違うスパイの魅力を描いている。かっこいい。

このアベルを演じるマーク・ライランスの演技が絶品で、チャーミングなおじさんという感じでとても良い。主人公の弁護士ドノヴァンから、たびたび不安ではないかと聞かれて「役に立つか?(Would it help? )」と答えるくだりの、老練なかっこよさとどこかとぼけた可愛らしさが共存している感じ、本当に凄い。

ある種の人間賛歌を描いた映画としても、魅力あふれるアベルのキャラクターを描いた映画としてもおすすめの作品です。

以降、ネタバレ

 

 

 

 

年齢的に私は冷戦についてあまり肌感覚がなかったのだけど、改めてその「壁」が隔てるものの恐ろしさを実感する映画でもあった。作中のドイツ語やロシア語に翻訳を点けないのが、有効な演出として機能している。

途中、ベルリンの壁を越えようとした東ドイツの市民が射殺される様子を電車から目撃するシーンがある。それをリフレインするように、終盤でアメリカの中で子供たちが無邪気に塀を越えて遊んでいるカットが描かれる。この2つのカットだけでいろんなことを雄弁に語っている。私のような映画素人であってもきちんとわかる形で、「映像で語る」ということをやってのけていて、流石だなという感じ。

 

あと、橋の上でアベルを交換するクライマックスシーン、ソ連に戻ったアベルの処遇についてアベルが予想をするくだり。抱きしめられて迎え入れられるか、ただ車の後部座席に乗せられるかでその後の待遇がわかるとアベルが話す。ただ後部座席に乗せられた場合は、きっと「アメリカで機密情報を吐いたのではないか」と疑われて尋問にかけられたり、下手をすれば処刑される可能性だってある、ということなのだと思う。

こういう情報を与えた上で、画面手前でアメリカ人の捕虜が抱きしめられて迎え入れられる様子を描き、画面奥でアベルの様子を描くというのも演出として憎い。ドノヴァンと視聴者以外のアメリカ人にとっては、「捕虜が返ってきた」ということが重要だが、アベルの話を聞いてしまった我々は画面奥でひっそりと映されるアベルの様子に目を奪われざるを得ない。

決して「画面の目立つところでわかりやすく大事なことを描写する」という画面構成になってはいないのに、視聴者にしっかりと目で追わせる画面誘導の手腕というか、その場にいる他の人々が気にしていないものを自分から目で追ってしまうという点で、ドノヴァンの視線を追体験するような演出になっていると思う。よかった。

 

プリンセス・プリンシパル」にハマって以降、少しずつスパイ映画作品を見てきた。その流れで見てきた作品の中ではそこまでスパイ映画ではない作品だったけど、冷戦に対する理解も本当の本当に少しだけとはいえ勉強できた点ではスパイものに対する理解も少しだけ深まったような気もする。