日記:「ルポルタージュ1巻」

恋愛をするものがマイノリティとなり、現代的な意味での交際を”飛ばした”、純粋なパートナーシップとしての「飛ばし結婚」が一般的になった社会が舞台。その象徴である「非・恋愛コミューン」をテロリストが襲撃、多数の被害者が出る。

青枝聖は記者として、被害者のルポルタージュを担当することになる。

 

設定に脱恋愛的要素を持っている作品は、結局恋愛は素晴らしい、みたいな話に帰結してしまう印象がある。この作品は1巻の時点で、作中人物が恋に落ちたり、恋愛を飛ばした結婚という形に疑問を呈する描写こそあるものの、そう単純な話にもならないだろうな、という予感がある。

かといって、脱恋愛的な設定をそのまま賛美するような話でも勿論なく、難しいものを物語のなかで溶きほぐしながら、安易に単純化せずに描き切ってくれそうな感じがする。そういう期待がある。

帯にもある「私は今まで手触りを軽視していたのだとわかった——」という言い回しさえ、とても慎重なもので、それでいて的確になんらかの事実を突いた一文であると思う。

 

絵理沢の家庭は「飛ばし結婚」の先進的な成功例として(そんなに大きい記事ではないにしても)取り上げられていたが、個人が象徴とされることの恐ろしさみたいなことについて想いを馳せた。

象徴になってしまうと、象徴には象徴としてのふるまいが求められる。その圧は、水面下にしかないものであっても、やはり恐ろしい。

絵理沢夫婦の間にある取り決めというのも、そういう圧があったのではないかと邪推してみたり。単に子供の存在が大きかったのかもしれないし、人と違うことをしたがゆえの世間体があったのかもしれないので、やっぱり邪推にすぎないけれど。

 

 以下、ネタバレ少な目の箇条書き

 

 

 

・國村葉の設定とか、現代社会への嗅覚の鋭さみたいなものを感じる。

 ・価値観の異なる世界を描いたフィクションでは、メディアの描写が気になる。この作品では、数人の夫婦の中から恋愛結婚の夫婦を当てる企画が描写されている。これにも作者のバランス感覚を感じる。

・恋愛結婚でなくても式はあるのか、と思ったけど、恋愛結婚が主流になる前のお見合いとかもっとそれ以前の形態でも式はあるか。

・矢坂夫婦の話、とても好きです。