日記:何かを盛り上げるとかの話

日々いろんな人がいろんな発信をして、いろんなものを盛り上げようとしている。

対象は伝統の継承であったり、地方活性化であったり、福祉であったり、何らかのコンテンツであったり、イベントであったり、交流であったり、商売であったり、さまざま。

そういうのを見ているとき、彼らの努力が報われて、彼らが盛り上げたいものが盛り上がるといいなぁと思う反面、どこか冷めた気持ちもある。

例えば盛り上がりのわかりやすい指標がお金であるならば、それは消費者が持っている限られたパイの奪い合いなんじゃないかとか、そういうことを思う。何かが盛り上がればその分盛り下がっていく業界もあって、結局得をするのは拘りを持って一つのものを盛り上げようとする人間ではなく、業界を渡り歩きながら勝ち馬に乗っていく存在じゃないか、とか。経済とかよくわからないので頓珍漢なことを言っているかもしれない。それで何が悪いのか、と思うかもしれない。何も悪いことはないけど、いつか盛り下がっていくものに思いを馳せると寂しいな、と思うだけ。

かつて栄えていた寂しい廃墟に再び光を当てたとて、それが別の場所から奪った光であるならば、光の総量が変わらないとすれば、大して意味がないのではないかと考えてしまう。

 

お金でないにせよ、何かを盛り上げようとすることは、限られた人口における興味や関心というリソースの奪い合いだ。興味や関心を持つ人間が少なければ盛り上がらないし、一人の人間が持てる興味や関心の量はきっと限られている。

そういう奪い合いを勝負事のように楽しめれば人生が豊かになるのかもしれない。

今のところは勝つのも負けるのも空しいと思ってしまうばかりの人生なので、あなたが盛り上げようとしている何かが盛り上がることを祈りながら寝ます。