日記:「歩いても歩いても」

パルム・ドール受賞で話題沸騰の是枝監督予習編としてみました。

過去にみた是枝監督の作品としては、海街diaryがあります。

日記:「海街diary」 - しゆろぐ

簡潔に言うと、里帰りや親戚・もしくは家族という共同体の嫌なところ、きついところみたいなものを、割と生々しく描いている作品。描かれているのはふつーの家族の里帰りの様子だし、露骨に現実と乖離した悪意要素があったりするわけでもないのに、もはやサスペンスみたいに感じる。こういうところ、「桐島、部活やめるってよ」の映画版と似ている……。

(桐島の場合、作中で再構築された教室という空間がきつすぎて、かなりショックを受けたのか、感想はまだ書けていません)

でも、嫌らしい作品というわけではなくて、とても希望にあふれた作品でもある。

作中の台詞やキャッチコピーにある「間に合わない」という台詞が家族という関係を的確にあらわしていると思うが、間に合わないということは絶望ではなく、間に合わなくても、まぁ、なんというか、うん、そこに希望があるということも描いている。うまく説明できていないけど、まぁ映画を見ればわかる。

 

「海街」のときも思ったけど、「あれする」みたいな台詞をすらっと仕込んでいるところとか、樹木希林とyouの会話シーンとか、現実にいかにもありそうな会話を劇中で再構築する人なんだろうなーと思う。

(そのわりに「わよ」みたいな女ことばを比較的若い人にも言わせるあたりはどうなんだろうなーとも思うけど)

「歩いても歩いても」はわずか一泊二日の里帰りを二時間かけて描いているわけで、劇的に何かが起こるわけでもなく、丁寧に時間経過を追っていく作品になっている。ちょっと聡い連れ子といとこ(でいいのか?)の距離感とか。丁寧に丁寧に家族という関係を生々しく描く。やめてほしい。

むろん、一泊二日の帰省にしてはいろいろ起こりすぎだろうと思う面もなくはないけど、それが長兄の命日であるという物語上の意味付けがうまく機能しているのでそこまで違和感はない。

 

家族というものにもよもよした感情を抱いていたり、帰省に対してちょっとブルーな気持ちを覚える人は絶対にちくちくする作品ですが、だからこそおすすめします。

ちくちくするのが楽しくて映画見てるんだろ!(そうとは限らない)

以下、ネタバレ

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中盤の樹木希林がすごくこわいけど、子供がいないからこそこわいと感じてしまうのだろうか。よくわからない。

おばあちゃん、おじいちゃん二人に関連するところで言うと、おばあちゃんが蝶々を長兄だと言う場面やおじいちゃんが救急車のまわりでおろおろする場面など、親というものの衰えを感じさせる描写がきつい。

 

子供と主人公(良多)とその父親(上でおじいちゃんと書いてしまったけど)の三代で散歩に行くシーンがとてもいい。いろいろ思うところはあっても、心配せざるを得ないような気持ちとかが、歩いている様子から伝わってくる。それは呪いだとも思うのですけど。

で、彼らは海に行くわけだけど、是枝監督作品の海は何かの象徴っぽいなーと思う。

叶わない未来の予定について話す様子が、なんとも言えない。

 

モンキチョウについて、「冬を越したモンシロチョウが黄色い蝶々になる」という話。ちょっと素敵なようなそうでもないような感じの話だけど、物語としても重要な意味を持っている。こんな、たわいもない、誰に聞いたかも覚えていないような話のなかに、人間の記憶が息づいているということがきっと1つの希望。

良多と母も、やっぱり気持ちよくすんなりいくような関係ではないんだろうけど、母が残したいろいろなものが良多のなかにきちんと受け継がれていることがわかる。モンシロチョウの話をしたその瞬間、たわいもなかった過去と現在がつながって、それがなんらかの意味を帯びるのだろうと思う。

 

この作品が描いている希望は、「間に合わなかった」という後悔への肯定だと思う。

良多は実家を後にして「正月は帰らなくていいか」と言う。父は「次は正月か」と言う。まず、そういう致命的なズレを描く。そして、たわいのない雑談で名前がでてこなかった力士の名前について思い出した良多がバスのなかで「いつもちょっと間に合わない」といった趣旨のことを言う。これは単なる雑談だけではなくて、例えばスタジアムでサッカーを一緒に見るという約束が「間に合わない」ことにもつながっている。親と子はすれ違っていて、間に合わない。

しかしながら、父と母が見送りから実家に戻る途中で、良多が間に合わないと言った力士の名前を思い出す。力士の名前なんて、単なる雑談にすぎない。思い出したからといって、伝える必要はない。でも、このシーンには、「間に合わないと思っていたはずのことが、実は伝える必要もなく、相手もわかっていることがある」ということを示しているの。だからこそ、この作品は希望を描いているのだと私は思う。

くわえて、父と母の死を語る良多のモノローグに合わせ、父と母が画面から退場していくという映画的演出もいい。露骨だけど、露骨なんだけど、いい。

 

唯一難点をあげるとしたら、「いなくなった人の悪口を即言う」みたいなシーンが多すぎるだろ!というところ。家族間の緊張を描くにしても、多用しすぎな気がする。

でも、自分があまり影で人を悪く言う行為が好きはないので、私情もあるかもしれないなー。