日記:「Yの悲劇」
エラリー・クイーン最大の傑作が何か、とミステリファンに問うたら、きっと意見が分かれるでしょう。国名シリーズのどれか? 悲劇四部作? ライツヴィルもの?
しかし、エラリー・クイーンが最も傑作を生みだした年というのなら、間違いなく1932年です。この年に彼は国名シリーズの「ギリシア棺の秘密」「エジプト十字架の秘密」「Xの悲劇」「Yの悲劇」の4編の傑作を生みだしています。加えて「X」と「Y」は「X」のほうの感想で述べた通り、大きく毛色の異なった作品です。そういうわけで、今回は「Yの悲劇」のご紹介です。
なんて。
ライツヴィルものはまだ一つも読んでいないし、「ギリシア棺の秘密」も読んでいない私がこんなことを書くのは、さまざまな本にのっているクイーン解説の受け売りでしかありません。が、「X」と「Y」が一年で書かれたという事実はやはり驚嘆に値します。
現代的な電車での殺人を描いた「X」とは打って変わって奇妙な一家、奇妙な屋敷、奇妙な事件を扱った、いわゆる館もののテイストになっているのがまず面白いです。
そして館ものにふさわしく、事件の起こるハッタ―家の家族たちは狂気に満ちています。自殺したヨーク・ハッタ―の実験室に残された毒物など、道具立ても周到です。
何より印象に残るのは、目も見えなければ耳も聞こえない、それゆえに犯行当時犯人と居合わせながら口をふさがれることのなかった、ルイーザの証言です。彼女が証言する得体の知れない犯人との邂逅は、怪奇小説のように恐ろしい一方で、幻想の迷路を旅しているような高揚感にも満ちています。視覚と聴覚を排した世界からわずかな証拠が発見される過程の、なんと美しいことか。もっとも、その証言で得られた証拠こそが、事件を更なる混迷に誘い込むのですが。
この小説の凄いところは、狂気の一家をめぐる怪奇小説的な色合いを持ちながら、実に論理的な解決がなされるところです。一方で、その論理的な解決が、論理的であるがゆえに、その真相に隠された闇をも克明に映し出します。
江戸川乱歩は、この小説を高く評価していたそうです。
私も、鮮やかな論理と暗い幻想の両立という点で、日本人がイメージするミステリの一つの完成形なんだろうなぁと思いました。
以下ネタバレ
- 作者: エラリー・クイーン,越前 敏弥
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/09/25
- メディア: 文庫
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この作品の微妙なネタバレとしては、「もう犯人は意外ではない。途中でわかってしまった」というものや、「トリックの一部が日本人にはわからない」みたいなものがある。こういう配慮しているようで結局のところネタバレである記述を読むと内容が割と推測できてしまう。まぁしゆは犯人全然わからなかったんですが……。
犯行計画書(みたいな小説)が手がかりとして提示された時点で、何もわからなくなった。だって事件の手がかりがほとんど偽の手がかりということになるし、しかも第一の事件はヨーク・ハッターにあたる人物を子供が担当していて、偶然殺人未遂になったようにしか見えないし。だいたい真犯人が毒を飲んでないのに、偶然子供が毒を飲もうとして殺人未遂になるなんて、恐ろしいにも程がある……みたいな状態。
犯人がわかってみれば、確かに現代的には、そこまで意外な犯人でもなかったかもしれない。というか、作中の描写の幼さに比べて、年齢は結構大人びてるんですよね、犯人。
作中にてドルリー・レーンが下した判断に関して面白いなぁと思ったのは、社会的な醜聞・制裁と死を比べて、死のほうが軽いものだととらえているところです。彼は、社会的な醜聞・制裁から彼を守りつつ成長してしまった殺人鬼を葬るためにああいう判断をくだしたわけですが、この点で醜聞や制裁から守るために死を厭わない、と考えているところが独特の倫理感覚です。俳優だし、なにかあったんでしょうか。
もしくは、彼が自分の正義を振りかざして人の死を選ぶような驕った人間であることを示しているのでしょうか。
そこらへん気になるし、「Z」と「レーン最後の事件」も近いうちに読む。