日記:「マラケシュ心中」

エネルギーが必要だった。エネルギーが必要なときは、中山可穂の小説を読むことにしている。

中山可穂は恋にくるった女と女を書く作家だ。彼女の作品の主役は、身勝手で人の迷惑を顧みないことも多い。悪い部分を書こうと思えば、いくらでも悪く書ける部分はたくさんある。しかしながらそんな風に身勝手に見えてしまうのは、他人だからだ。他人と思わせないのが中山可穂の文章であり、彼女たちの激情に息もできなくなるのが中山可穂の小説である。

マラケシュ心中」は数年前に読み止していた本だが、もういちど開いてみればすぐに読み切ってしまった。

後半にでてくる旅の描写が相変わらず上手い。熱に浮かされたモロッコの奥深くに入り込んでいく描写と、綾彦と泉が引き返せないところに進んでいく描写が混ざり合う。幻想小説で描かれるような得体の知れない場所に来てしまったのではないかという錯覚が生まれる。中山可穂の経験に基づくであろう、ふっかけてくる現地のサービスを値切ったり偽ガイドにチップをせびられたりといった描写、盗難、熱、さまざまなトラブルが単なる旅行記としてではなく、二人の恋愛のなんらかの側面を表現するように巧妙に配置されている、気がする。

周囲を顧みず恋をするのが中山可穂の作品の登場人物だが、自分を顧みないのもまた中山可穂の作品の登場人物である。顧みずにどこまでも進んでいく、情熱に浮かされた文章に身を浸すと、すこしだけ力がもらえる。

たった4ページほどのラストシーンに胸を打たれる。この結末が物語として素晴らしいものなのかはわからないが、今にも映像が目に浮かびそうなほどに劇的で、それでいて小説ならではの感情の濁流が描かれた文章は、間違いなく素晴らしいものであったと言い切れる。人類というものは中山可穂という作家の小説を読むために存続してきたのだ、という錯覚に陥るほど、美しいものだったと断言できる。

マラケシュ心中 (講談社文庫)

マラケシュ心中 (講談社文庫)