日記:「ボトルネック」
だいぶ昔に書いた記事が放置されていた。ちょうど『真実の10メートル手前』を読んだところなので、加筆してアップロードしておく。
ダンケルクを見に行った日の朝、電車でボトルネックを読んでいた。
米澤穂信の書く青春小説だ。SFでもあるし、ミステリ的でもあるけど、個人的には青春小説。
自分の住む世界と似て非なる異世界に飛ばされてしまった主人公リョウは、生まれなかったはずの姉サキと出会い、世界の「間違え探し」を始める。非現実的ながら、設定はわかりやすく、コンセプトもわかりやすい。特殊な設定は、徹頭徹尾現実の一側面を掬い取るために使われているため、夢物語という印象はない。
米澤穂信は、姉にねじふせられたことがあるのだろうか、というくらい、小説に強い姉を出してくる。この作品のサキも例に漏れずとても強い存在だ。気丈であり、想像力に富む。一方、リョウはサキとは違う。想像を巡らせるのが苦手だし、行動力もあるとは言えない。
自分とは似ても似つかない自分の相似形が存在する世界で、リョウはどんなことを体験するのか。
痛々しくて、息苦しい。序盤の時点で。どういう風に残酷な作品なのかちょっと予想がつき、予想がついていても、やっぱり苦しい。ちょっとここからネタバレ。
ボトルネックとは全体の効率を下げるような一点のことを言うらしい。
ぜんぶ自分のせいだ、なんていうのは、それはそれで自意識過剰な考え方だ。
それでもできることはあるはずだ、できることが少なくとも、できる限りのことをしよう、そう考えていくのが人生かもしれない。
でも、そんな努力をしなくたって時間は過ぎていく。
急に何もかもだめになることは少ない。
猶予がある。この作品の主人公リョウには、きっと猶予があった。しかし、ダメだった。その事実がリョウに重くのしかかる。
と、ここまで書いた状態で記事が放置されていたので当時の自分が何を言いたかったのかはよくわからない。
ので適当に書く。
自分の住む世界と似て非なる異世界は、いないはずの姉のおかげでいろんなことがうまく回っている。だからこそ、リョウは自分を責めずにはいられない。彼の恋人ノゾミの存在も象徴的で、リョウの世界のノゾミは彼をまねて内向的な、消極的な性格になっていたが、サキの世界のノゾミは彼女をまねて爛漫な性格になった。リョウの世界のノゾミは死んだが、サキの世界のノゾミは生きていた。
リョウがいちばん見下し、疎んでいた兄でさえ、サキの世界では快活でまっとうな学生だった。
物語のラストシーン。元の世界に戻されて、リョウは死ぬか生きるかを懊悩する。あまりに都合がいいサキの世界を見た後で、リョウは生きていく気力を失う。彼がどういう道を選んだかは、作中では明示されない。
物語を過剰に読者へのメッセージとして解釈してしまうのは好きではない。
登場人物たちが生きた物語は、読者に向けたメッセージを表現する道具ではないからだ。
しかし敢えてメッセージを読み取ろうとするならば、「自分が様々なことのボトルネックだと知ってなお生きていけるか?」というのは読者に投げかけられた問いかけなのかもしれない。
もし問いかけであるとするならば、リョウが死を選んでしまいそうに見えるところまで含めて、問いかけなのだろう。すべてをあきらめてしまったように見えるリョウに、それでも生きていてほしいと思うのならば、それ相応の責任をもって、そう願わなくてはいけないのではないだろうか。