日記:「A.I.」
二度目の視聴になる。
数少ない私が昔見たことのある映画だ。
過去の自分の弁では、この映画を見たときに初めて死というものを実感として理解したらしい。別に死がテーマになっている映画ではないと思うけど。
映画の筋はごく単純。植物状態の子供を持つ家庭が、子供の代用品として親を愛するよう設定されたロボットを家に迎える。最初は抵抗を持っていた母親だったが、次第に愛着を持つようになる。しかし本物の子供が奇跡的に助かり、ロボットの子供は捨てられてしまう。そして彼は、母の愛を求めて冒険を始める。
こういう筋は誠実ではない。例えばロボットの子供が事故を起こして本物の子供を死なせかけたことや、ロボットの子供を捨てるときに母親が泣いていて、工場から処分されように逃げろと告げたことなんかは無視されている。一度愛を設定されたロボットは、中古では売れないから、一度手放したら廃棄されるしかない。
しかしそんな事情など関係なく、一度愛を設定されたロボットはひたすらに愛を求め続ける。そういうところで、物語は我々に対して問いかけを行う。
ここから、ちょっとネタバレを交えてすこし。
難しい映画だなとは全然思わなくて、前述のように筋はごくごく単純。
しかしながらよくわからないことも多い。愛を求め続けるロボットは人間的と言えるかもしれないし、裏切られたのに憎むこともできない彼を機械的と評することもできる。そもそも苦しみを与えてしまうから、ロボットに対して残酷に見えてしまうのであって、そういうものを設定しなければいい、と考えることもできる。
でもそんなことは個人的にはどうでもよくて、「目が覚めたらすべてが終わっていた」というあの感覚と、すべてが終わった世界で再現される嘘っぱちの幸福のあの感覚だけが、自分のなかの原体験だった。
なにもかも失った彼が、最後に見た夢。人はあのように死んでいくのかもしれない。