日記:つなげていくこと/永らえること

素朴な生命観として、種の存続のためにいのちは生きているのだという考え方がある。

素朴なので厳密には間違っているのかもしれないし、そもそも正しいとか間違っているでは議論できない内容であるとも思う。こういうことを素朴に考えてしまうというのも、生命に関する現象のひとつにすぎないのかもしれない。

 

宇宙のスケールに比べたらちっぽけかもしれないけど、人間の営みはすごいと個人的には思っている。よく永らえてきたものだ。一方で、いつまで続ければいいんだろうと思ったりもする。

ゴールのないリレーをしているような気持ち。

リレーが簡単ならいいが、次の走者にバトンを渡すのも一苦労なのだ。何しろ子供が大人に育つのも大変だ。育てたくても子供のいない人もいる。大人になったからといってうまく働けない人もいる。働くことが、社会に貢献できているのかもわからない。獲物を食べるとか、種を育てるとか、外敵から身を守るとか、それだけだったらわかりやすい。でも、今世界中で取り組まれている色々なことが達成されると、人間はもっと続くようになるんだろうか。人間はよくなるんだろうか。どんなバトンをどこに渡せば、ゴールに近づけるのだろう。

 

人類は、いつか終わる。

無限に続く可能性もある。叡智が太陽の寿命をも飛び越えて、現在の我々が知らないほどどこかへと広がっていくことだってあるかもしれない。宇宙なんてちっぽけなもの、と思う時代がやってきてもいい。

だからこれは私の主観的で悲観的な予測だ。人類はいつか終わる。

人類が終わるときのことを考えると、我々は適切に終わることができるだろうかと不安になる。適切、というと語弊があるかもしれない。しかし、悲しみに満ちた永遠や、悲鳴と怒号の飛び交う最後は嫌だなぁと思ってしまう。

人類は個人の死という形で小さな終末に幾度も触れてきた。

大きな終末にだって、向き合うことになる日が来るのかもしれない