日記:人間の誕生日

facebookにログインすると、毎日のように人間が誕生日を迎えていることを教えてくれる。twitterのタイムラインを見ていると、毎日のように誰かが誰かを祝っている。

今年はどうも、それが多く感じる。

去年と比べて特に知り合いは増えていない。だから、実際に見える誕生日の頻度はあまり変わらないと思う。それなのにどうしてか、日々人が誕生日を迎えている事実がどうにも受け入れがたい。以前よりはしっかり生きているから、体感時間が短くなって、その分誕生日と誕生日の間の距離が短く見えるのかもしれない。それにしたって、以前であればタイムラインで誰かが誰かを祝っていれば、自分も便乗して祝ったと思う。でも、それができなくなりつつある。どうしてかはわからない。

誰かにとって特別な一日を、毎日のように誰かが迎えているという事実が情報として重すぎるのかもしれない。

それは当然、毎日のようにどこかの誰かの命日が来るということでもある。

数えきれない人間が、必死に、自分なりに毎日を生きて、膨大なことを考えているということでもある。

その奔流のなか、流されているのか逆らっているのかもわからないまま、俺は何をしているのだろう。何もわからない。

 

日々の、友人の誕生日を大事にして、前々から準備をして、プレゼントを贈ったり、ちょっとしたお祝いの言葉を届けたり、そういうことができる人間を尊敬する。彼ら彼女らの誕生日こそが、しあわせなものになるといい。