日記:「ビブリア古書堂の事件手帳」1,2

実は(?)、売れているものについて否定的なことを言いがちな人間です。

そんなわけでなんとなく人間と話していたら、読んでもいないビブリア古書堂の事件手帳シリーズについて否定的なことを言ってしまった。これはいけないと思い、反省の意味も込めて読んでみることにした。

結果から言うと面白かった。

最初のエピソードがいい。祖母が遺した「それから(夏目漱石)」に書いてあったサインの鑑定を依頼したら、古書堂の店主は思わぬ祖母の秘密まで明らかにしてしまう、というもの。日常の謎としてよくできた話だと思う。手がかりがすべて提示されるタイプのミステリとも違うが、すこしの情報からその裏側をどんどん推理していく様子は見ていて面白い。

こんな話が冒頭にあったので、日常の謎なのかなーと思ったけれど、以降の話は窃盗や脅迫など、けっこう事件らしい事件も多い。よく考えれば、タイトルに「事件手帳」と入っているのだから当たり前かもしれない。

個人的に面白かったのは上で説明した「夏目漱石漱石全集・新書版』(岩波書店)」と、2巻所収の「アントニイ・バージェス時計じかけのオレンジ』(ハヤカワNV文庫)」。『時計じかけのオレンジ』については、はっきり言って読めてしまう展開ではある。が、『時計じかけのオレンジ』にまつわる知識から推理が展開される様子が面白い。この本を取り上げるからこそ成立する、というミステリになっているので、たとえ展開が読めるにしても素晴らしいと思う。その上で、謎解きとは別の部分にあるオチもおかしくてかわいい。

そんなわけで安易に否定的なことを言うのはよくないなぁと反省しました。売れているもの、売れているなりに面白いことが多いのに、どうして安易なことを口走ってしまうのか、謎である……。 

 

 

日記:「マラケシュ心中」

エネルギーが必要だった。エネルギーが必要なときは、中山可穂の小説を読むことにしている。

中山可穂は恋にくるった女と女を書く作家だ。彼女の作品の主役は、身勝手で人の迷惑を顧みないことも多い。悪い部分を書こうと思えば、いくらでも悪く書ける部分はたくさんある。しかしながらそんな風に身勝手に見えてしまうのは、他人だからだ。他人と思わせないのが中山可穂の文章であり、彼女たちの激情に息もできなくなるのが中山可穂の小説である。

マラケシュ心中」は数年前に読み止していた本だが、もういちど開いてみればすぐに読み切ってしまった。

後半にでてくる旅の描写が相変わらず上手い。熱に浮かされたモロッコの奥深くに入り込んでいく描写と、綾彦と泉が引き返せないところに進んでいく描写が混ざり合う。幻想小説で描かれるような得体の知れない場所に来てしまったのではないかという錯覚が生まれる。中山可穂の経験に基づくであろう、ふっかけてくる現地のサービスを値切ったり偽ガイドにチップをせびられたりといった描写、盗難、熱、さまざまなトラブルが単なる旅行記としてではなく、二人の恋愛のなんらかの側面を表現するように巧妙に配置されている、気がする。

周囲を顧みず恋をするのが中山可穂の作品の登場人物だが、自分を顧みないのもまた中山可穂の作品の登場人物である。顧みずにどこまでも進んでいく、情熱に浮かされた文章に身を浸すと、すこしだけ力がもらえる。

たった4ページほどのラストシーンに胸を打たれる。この結末が物語として素晴らしいものなのかはわからないが、今にも映像が目に浮かびそうなほどに劇的で、それでいて小説ならではの感情の濁流が描かれた文章は、間違いなく素晴らしいものであったと言い切れる。人類というものは中山可穂という作家の小説を読むために存続してきたのだ、という錯覚に陥るほど、美しいものだったと断言できる。

マラケシュ心中 (講談社文庫)

マラケシュ心中 (講談社文庫)

 

 

日記:「メルカトルと美袋のための殺人」

以前、とりあげた「メルカトルかく語りき」に登場する銘探偵メルカトル鮎とワトスン役の美袋にまつわる短編集です。 

日記:「メルカトルかく語りき」「貴族探偵」(ネタバレなし) - しゆろぐ

「メルカトルかく語りき」より以前に発表された作品だが、メルカトルのひどい探偵っぷりは「メルカトルかく語りき」よりすさまじいかもしれない。

「メルカトルかく語りき」がメルカトルが担当するにふさわしい事件を集めた作品集というのなら、この作品はまさしくメルカトルと美袋の「ため」の殺人を集めた作品集。事件が主体である「メルカトルかく語りき」と、キャラクターが主体である「メルカトルと美袋のための殺人」と言えばわかりやすいだろうか。

とはいえ、そのトリックや謎解きの水準が低いわけではない。

遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえるは結末だけ聞けば声に出して仰天してしまうような解決編だが、しっかりと伏線が貼られており、読者に納得できる形で離れ業を演出してくれる。その上、美袋の恋心と悲しみも味わい深く描かれており、美袋のために事件を解決するメルカトルのやさしさのような何かにも驚かされる。

メルカトルのサディストぶりが味わえる短編としても、翌日の観劇に間に合わせるために学生を脅しながら捜査を断行する化粧をした男の冒険や、メルカトルが執筆した短編ミステリの謎に美袋が挑むノスタルジアなど、およそすべての作品でメルカトルのひどすぎるキャラクター性が光っている。事件の内容も、退屈したメルカトルが依頼人を呼び込むなど、型破りなものが多い。

そういった作品集が、最後のシベリア急行西へに限ってオーソドックスで正統派なミステリで締められているのも面白い。

個人的に好きなのは冒頭の「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」、ラストの「シベリア急行西へ」、そしてちょっとした文章の伏線とメルカトルのひどさがいかんなく発揮されていて、しかし笑えるどころかすこしぞっとする「彷徨える美袋」の3篇だろうか。でも全部面白かった。

メルカトルと美袋のための殺人 (集英社文庫)

メルカトルと美袋のための殺人 (集英社文庫)

 

 

日記:「友達以上探偵未満」

勝てばホームズ。負ければワトソン。

こんな文章の帯に惹かれていつか読もう、と思っていたのですが、気が付けば手元にありました。麻耶雄嵩の新作。二人の女子高生探偵による推理ショー。松尾芭蕉の俳句に見立てた殺人劇。17年前に亡くなったという、お堀の幽霊の謎。合宿で起きたミステリ。3つの謎に、考えるのが苦手な名探偵志望伊賀ももと、刑事からも一目置かれる名探偵志望上野あおが挑みます。

麻耶雄嵩本格ミステリの極北と言われるほどの作家なのですが、この作品は比較的ミステリとしてはオーソドックス。私が今までに読んだ麻耶雄嵩は「メルカトルかく語りき」「貴族探偵」「貴族探偵対女探偵」だけなので、比較的王道なものばかり読んでいるのですけど。しかし、彼はいかに王道な推理であろうと、そこにミステリに対する問題意識を投げ込むことをやめません。というか、おそらく「こういう問題意識を描くには、王道なトリックにする」という逆算が潜んでいるのではないでしょうか。彼の作品を全然読んでいない私が言うと、後ろから刺されそうですが……(むしろどんどん読んでいきたいので、おすすめの作品がある人はじゃんじゃん刺してくださいね!)

 文字を大にして言うなら、これは2018年最大の百合小説と言っても構わないと思います。ふだん文字を大にしないので、とても恥ずかしい気持ちになりました。なぜ百合か、というのはネタバレありで後半で語ります。つまり、この作品が百合であるという事実はこの作品の根幹にかかわっているということです。女と女がちょっといちゃついてるとかほわほわ仲良くしてるとかそういう話に終始しません。本格ミステリ作家が描くミステリへの問題意識、「探偵とは何か」という疑問が結果的に生み出した最強の百合をとくとご覧あれ!!!!

 

なんか全然内容について触れてないですね……。

この作品、読者への挑戦状がついているのですが、ちょっと面白いです。

※この小説は犯人当てになっています。次へ進む前に、しばし立ち止まり誰が犯人か考えてみてはいかがでしょうか? 一句詠むだけでも構いません。p.101

私は推理をしたので一句詠んでません。俳句は文字数が少なくて難しい……。

ネタバレにならない表層的な話をすると、元気で向こう見ずなももと、冷静なあおのやりとりが面白いです。事件の情報を整理しているあたりも、もものすっとんきょうなコメントとあおの冷静なツッコミ(もしくは黙殺)のやりとりが軽妙なので、するする読めます。するする読んでいるうちに挑戦状が出てきて、「犯人の見当もつかない!」となったりするのですが……。

ミステリとしても面白いです。特殊な舞台設定が見事なトリックを形成している「伊賀の里殺人事件」、夢うつつで殺人計画を聞いてしまった女の子のモノローグから始まる「夢うつつ殺人事件」、どちらも「お!」と言う感じのメイントリックで美味でした。最後の作品に関しては、ちょっと百合すぎてトリックから意識がそれていましたが……。もちろん推理もトリックも最後まで面白いものでした。

以下ネタバレです。ミステリの話と百合の話をします。みなさんも読みましょう。

友達以上探偵未満

友達以上探偵未満

 

 

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日記:「街の灯」

 「何によらず、物事というのは汽車の窓から眺める風景のように、我々の前を過ぎて行く。その中から、≪おや、あれは何だろう≫≪どうして。あんなことになるのだろう≫という疑問を見つけるのは、実は、想像以上に難しいことなのだよ」(p.208)

「街の灯」は昭和初期を舞台にしたミステリ小説である。

主人公は上流家庭の娘。北村薫の繊細な文章が、上流家庭の娘の瞳に映る当時の東京の雰囲気を克明に描いている。繊細な文章といって、ただ美しい描写や綺麗な描写、現代の私たちから見てノスタルジックに見える昭和初期の描写が巧いだけではない。むしろ、人の心に闇を落とすような翳りの描写がすこぶる上手で、それさえもどこか美しく思えてしまって、ため息が出る。

雰囲気の描写としては、途中で出てきた主人公と友人の暗号通信が面白い。「二人の間で特定の本を指定する。そして、何ページ・何行目・何番目の数字だけを書いた紙を渡す。選んだ本を確認して、そのページのその行のその文字を確認すれば、数字の意味が解読できる」というもの。やっていることはオーソドックスな暗号でありながら、鍵が「即興詩人」であるというだけで、なんとも面白い情感が漂う。

さて冒頭に引用した文章だが、叔父がさまざまなことを疑問に思う主人公をほめたものである。これは私が先日読んだ「太宰治の辞書」と通底する作者の精神があらわれたものだろうと思う。

日記:「太宰治の辞書」 - しゆろぐ

そもそも人は何かに疑問を持つことさえできないことが多い。その中で疑問を見つけることそれ自体に価値があり、面白みがあり、ミステリがある。

新聞で知った事件の謎を追う「虚栄の市」、兄の友人が仕掛けた暗号を解読する「銀座八丁」、避暑で訪れた軽井沢の映画上映会にて起こった怪死事件を扱う「街の灯」。本作は三つの短編から構成されているが、このつくりもうまい。「虚栄の市」で起きる事件は人の死を扱っているがあくまで主人公にとっては自分からは遠い出来事としての新聞の謎であり、「銀座八丁」は当事者であるがあくまで内容はお遊びの暗号の謎。そして、「街の灯」は身近で起こった怪事件に向き合う。

冒頭の引用のように、疑問を持つ能力を褒められる主人公だったが、それは必ずしも面白いものを解き明かすだけではない。身近に起こった事件の謎を解くということは、身近な人間のたくらみを暴くということにもつながる。

そんな謎に挑むのは、名家の娘である主人公と、女でありながら彼女の運転手に任命された凄腕の女性「ベッキーさん」。ミステリの王道でいけば、いかにも探偵役を務めそうなのは運転手のほうなのだが、ベッキーさんがヒントを与えて主人公が謎を解く、という形式をとっているのも面白い。

そんなこんなで、以下ネタバレ

街の灯 (文春文庫)

街の灯 (文春文庫)

 
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日記:「太宰治の辞書」

この小説は、北村薫のデビュー作である日常の謎を扱ったミステリ「円紫さんと私」シリーズの17年ぶり(になるんだろうか)の新作である。と、私が大仰に語るのはよくない。何故なら私は「円紫さんと私」シリーズを読み通していないのだ。シリーズを一切読まないまま、私はこの「太宰治の辞書」を読むことにした。

連日感想を更新していることからわかるように、最近はすこし読んでいる。が、一時期はまったく小説を読んでいなかった。いやいや、読んでいる今が「一時期」にあてはまるというくらいには小説を読んでいない時間が平常だった。

そんなころ、ツイッターのタイムラインにちらりと映った「太宰治の辞書」という文字列。私はこれに惹かれた。読まなくてはいけない。だって、太宰治で、しかも辞書だ。彼はどんな辞書を用いて小説を書いたのだろう。それがミステリ作品としてどのような形をとるのだろう。タイトルだけで、私はさまざまな連想をした。しかも、私が愛読する米澤穂信が強く影響を受けている北村薫の新作と来たものだ。私は北村薫の小説をそれほど読んでいないが、この人の文章の丁寧な美しさには舌を巻いていた。しかし、めっぽう本を読んでいなかった時期だ。この作品がシリーズものであるという事実を聞き、私は「きっとまた読まずに終わるのだろう」という気持ちになる。読書とはかつての自分の趣味であったとしても、今の自分の趣味ではない。現在の私の趣味は言うなれば購書と言ったところで、買った本を読まずに転がしてしまうことこそが趣味なのである。

それでも、「太宰治の辞書」というタイトルには後ろ髪をひかれた。

——シリーズを読み通す自信がないのなら、最新作だけ読めばいいじゃねえか

それは悪魔のささやきだった。だが、考えてもみてほしい。ミステリというのは通常、過去の作品のネタバレをしないものなのである。シリーズものだからこそ描かれる成長や失敗はあっても、それぞれの作品の骨子である謎解きについては言及しない。それはもとより、ミステリというジャンルが、順番を入れ替えて読むことを許容しているという何よりの証左ではあるまいか。

そんな経緯があった。それがこの小説と私の、ちょっとした物語である。

 以下、ネタバレを含む語りになります。

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

 

 

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日記:「螺旋階段のアリス」

この作品がテーマにするのは「日常の謎」。

サラリーマンをやめて私立探偵になった仁木順平と、彼のもとを訪れて助手として働くことにした探偵志望の市村安梨沙。この設定だけでも惹かれるものがあります。

二人の事務所に舞い込んでくる謎は、仁木が憧れていたハードボイルドなものでもなく、かといって安梨沙が望むような優しいだけのものでもない。ちょっぴり苦く、でもやっぱり優しい、そんな謎の数々。というわけで、この作品は連作短編集です。

この作品の好きなところは、謎に対する苦みを含んだ答えを見せながらも、最後には優しさで包みあげる手腕です。そういう点で、やはり私は「中庭のアリス」と「最上階のアリス」が好きです。

「中庭のアリス」は探偵が務める最もオーソドックスにして堅実な仕事……犬探しを扱った作品です。死んだ夫が30年前にプレゼントしてくれた犬が逃げ出したということで、ある老婆から犬探しを頼まれた二人。しかし、なんと「そんな犬はいない」という情報をつかむことになります。それもそのはず、30年前にプレゼントされた犬が、今も生きているはずがありません。はてさて、犬は老婆が見ている幻にすぎないのでしょうか。

「最上階のアリス」のあらすじは面倒なので書きませんが、二人がそれぞれに調査の結果を報告するラストシーンの美しさは、仁木と安梨沙のキャラクターが綺麗に出ていて好きです。苦みと優しさが詰まった謎の答えも、うまく言えない気持ちにさせられます。

ナゾトキと後味の悪い結末、と言うとさまざまな作品がありますが、苦みがありつつも終始やさしいバランス感覚が癖になる一品でした。

新装版 螺旋階段のアリス (文春文庫)

新装版 螺旋階段のアリス (文春文庫)