詩:ビスケットのうた

つまらない言葉の羅列を眺めて、解釈をする。

浴びているうちに滝が色づいていくことに気づかない。

目の前の一滴を必死に追いかけて、わからない、と答える。

 

クッキーは、やわらかくて硬い。

ビスケットは、硬くてもろい。

この世のすべてをクッキーとビスケットに分類するなら、愛はクッキーで恋はビスケットだ。すべて粉々に溶けてなくなってしまうから、クッキーもビスケットもおんなじくらい瞬間的で、さわっても壊れないことは、決して永遠の証明にならない。

月曜日の朝の甘いミルクになりたかった。

冬なら、ココアでもいい。

人は長持ちし過ぎるから、明日が来ないことを、つい忘れてしまう。

白い息と白い湯気が混ざり合い、ココアであたたまる瞬間こそすべてだったのに。

 

夏を十九回やめました。

秋も、また二カ月くらいでやめてしまうのでしょう。

新緑と紅葉を対比していいのかわからず、川に流れていくふたつの落ち葉を沈めました。

ぜんぶ終わったことです。

一度散った桜が咲いても、再演でしかありません。

 

 

日記:「劇場版 響け!ユーフォニアム」「映画けいおん!」

 ユーフォニアム1期の総集編映画、けいおんの劇場版を見た。

ひとつの記事にまとめた理由としては、京アニだしユーフォニアムの感想を書きあぐねていたからごまかすため。

自分が原作至上主義者であることを忘れて、総集編映画を見たけど、やっぱり放送版を見るべきだった!という感じ。今から見ればいいんだけど。

ユーフォニアムは正統派な部活もので青春という感じ。部活ものになるとめちゃめちゃ評価がゆるくなるので、この作品が一般的にどのくらい受けるのかはよくわからなかったけど、よかった。なんとなく冷静で冷めている人が何事かに熱中して、それを恥ずかしいと思わなくなる、そういう瞬間は熱い。ハイキュー10巻とか。

ほかに感情が爆発したのは、ソロパート争いのシーンかなぁ。拍手のくだりに泣く。

放送版で見たかった……。みましょう。

それにしても、自分が全然努力できていない人間なので、他人の努力やその成果を描いた作品を見ていると、自分が覗いてはいけない場所を覗き見ているような気分になる。努力しよう。ユーフォはこんなところ。

 けいおんはアニメをなんとなく見ていたかなぁ程度で、ちゃんと楽しめるかなぁとは思ったけど、なんとなく見てみることにした。

ユーフォが全国を目指すような部活ものなら、けいおんはゆるっとした部活?もの。

映画版は放送版の続編というか、補完のような話で、放送版でも卒業をしっかり描いていたけど、卒業の日のあのエピソードの裏側とか、そういうのを描いている。

なんだかんだ曲にエピソードが付加されていく様子とか、そういうのはずるい。

登場人物が使ってた携帯電話が今でいうガラケーで時代を感じたな……。

けいおんの詳しい感想は、こっから先に、ネタバレあり

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日記:「花とアリス殺人事件」

岩井俊二の傑作「花とアリス」の前日譚。

花とアリスの感想はこちら

日記:「花とアリス」 - しゆろぐ

当時はあまり作品世界に浸れなかったけど、折にふれてこの作品について思い出すことがあり、そのたびに花とアリスが掬い取っている情景・イメージの強さに愕然とする。

花とアリス殺人事件は彼女たちが中学生だったころのお話。引きこもりだった少女・花をアリスが連れ出して友達になるまでの物語、と言えば美しい情景に見えるが、花とアリス同様に若い力の痛々しさもふんだんに描かれている作品だった。

あらすじ

転校生アリスは、クラスの人間に避けられていると感じる。新入りだからいじめられているのだろうか。話を聞いてみればいじめではない。何でも、結界をやぶってしまったからだという。1年前に起きた、しかしろくに詳細が知られていない殺人事件、ユダが4人のユダを裏切って、殺される。不穏でありながら、むしろキナ臭い言葉たちをきっかけに、アリスは殺人事件の謎に巻き込まれていく。

雑感

きっと、大したことのない話。それなのに「殺人事件」なんて仰々しい名前がついてしまうのは、大したことのないことを仰々しく捉えて、それに引きずられてしまう彼女たちにとっての世界の見え方を反映したものなんだと思う。

作中で大人を尾行するシーンがあるのだが、こういうシーンは苦手だ。やっちゃいけないことをやっているシーンを見ると、バレたらどうしようという気分になる。この作品はこういうシーンがすこぶる多い。そこも含めて、痛々しさなんだけど。「花とアリス」も嘘が鍵となっている作品で、そこらへんは苦手だった。

でもそういうところも含めてこの作品の魅力なんだと思う。電車で罰ゲームとして踊るシーンや、よくわからない儀式に参加するシーン、勝手に人の家に入るシーン、トラックで暖を取る危険極まりないシーン、そういう「あー」って感じのひとかけらひとかけらがこの作品を構成していて、魅力になっている。

音楽は相変わらずきれいで、(たぶんアレンジされてるけど)花とアリスで聞いた旋律に懐かしくなることもしばしば。休日の午後のカフェで流れていそうな音楽が、少女たちの情景をよりまぶしいものにする。

以下ネタバレ~~

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日記:「ジョゼと虎と魚たち」

邦画が見たくなったので、第二弾。

恋愛ものです。

 

あらすじ

早朝に乳母車を押している老婆がいるらしい。薬物の取引かもしれない。バイト先でそんな噂話を耳にしていた大学四年生の男は、まさに乳母車を押していた老婆と、その乳母車のなかにいた、足の不自由な女と出会う。二人は単に散歩をしていただけだった。なんだかんだあり、男は老婆と女の家に招かれ、朝食をごちそうになるが、そこで女の気の強いふるまいに惹かれる。さらに男はバイト先で、噂話の真相を確かめるために老婆を襲おうとする粗暴な輩の話を聞き、忠告のためにもう一度彼女に会いに行くことになる。そんな風にすこしずつ、彼と彼女は交流を深めていく。障害ものというよりは、恋愛ものかなぁと思います。

雑感

 妻夫木聡演じる恒夫の、快活さというか、良くも悪くも「ふつー」の男の子ぶりがよかった。ここでいう「ふつー」は、ふつーにいい人であり、ふつーにだらしなかったり考えが足りないところもある、みたいな意味。平均値、という意味ではない。実際、稀有な気がする。それに対して、池脇千鶴演じるジョゼの、ふつーじゃない感じ。人を寄せ付けないような、孤高のような、気の強さ。しかし、本に夢中になったときには無垢だったりもする。この非対称的な二人が交流を深めていく様子が心地いい。

他の一面として、ある種の障害を扱っている部分がすごく上手だなと思う反面、日常のさりげない差別意識の写し取り方が(露骨すぎるかもしれないけど)生々しくて、いやなことを思い出してしまう人もいるかもしれない。そういう面をあまり見せない恒夫ですら、「ふつー」の人が持っている考えの足りなさを発揮してしまう場面がやはりある。

かといって、それがすべて、つまり「障害を扱った映画です」ともあまり言いたくないなーなどと。

うまく言葉にならない。

ジャケットを見てもらえば、美しい画だなということがなんとなくわかると思う。誰かが置き去りにした写真をめくっているような気分で、いくつかの場面が印象に残ると思う。青春、というのが適切かもしれない。ままならないところも含めて、青春のお話。

 

作品の感想をネタバレなしでどれくらい書けるか、ということをいつも頭に思い浮かべるけど、実際に書いてみると想像とは勝手が違う。この作品は、そこまでトリックがあるような話でもないし、ネタバレなしでも十分に感想が書けるかなぁと思ったけど、結構むずかしい。というわけで、以下ネタバレです。

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日記:「海街diary」

邦画が見たくなってきたので。

ちょうど今、是枝監督の「三度目の殺人」が上映している。それを見に行くかはわからないけど、是枝監督の作品を見ようと思った。そんな経緯。

あらすじ

あらすじを語るのもあんまり意味がないタイプのお話。三姉妹が鎌倉で暮らしてて、再々婚した父親の葬式に赴くことになる。そこで、父親の再婚相手の女の子と出会い、長女が女の子に、一緒に暮らさないかと持ち掛ける。女の子はうなずき、三姉妹の更に妹となる。共同生活が始まる。色々なことが起こる。

こういうあらすじには大事なところが描かれていない。葬式は鎌倉から遠い、山あいの田舎町。女の子は再々婚の家庭になじんでいる感じがあんまりしない。女の子は姉妹の父親の世話を最後までしていた。再々婚の相手は、ちょっと頼りなくて、葬式でも彼女がやるべきところを女の子に任せようとする始末。三姉妹の長女に聞かれて、女の子が父との思い出の場所に三姉妹を案内してくれる。その場所は、海がないことを除けば、鎌倉の景色にちょっと似ている。この映画の大事なところは、そういうところにある。それは、何気ない情景であり、やりとりであり、生活である。劇的なエピソードではなく、連綿と続き有機的に関係する細やかな出来事のなかで、物語が描き出されていく。

雑感 

ぼやーっと見てて、楽しかった。映像も、穏やかに美的センスが爆発している感じだし。打ち上げ花火の映し方も、手持ち花火をやっているシーンも。家の映し方も、食堂の映し方も、街並みも、桜並木も、ぜんぶぜんぶ。

あらすじの部分は出来事とか、生活とか、書いたけど、構成とか人物の配置はかなり象徴的な面もあるなぁと思う。

好きなのは、母と長女のやりとり。喧嘩になるくらいで、不器用で、でもやっぱり家族で、みたいなもの。どんなに離れてもやっぱり家族、なんて言葉が出てきてしまう点で家族は一種の呪いでもあるけど、それでもそこにある何かを信じたくなってしまう。そういう絶妙なやりとりが、うまい。こういうところも含めて家族は一種の呪いなのかもしれないけど。

食事が印象的だ。生しらす丼にせよ、しらすトーストにせよ、シーフードカレーにせよ、ちくわカレーにせよ、そこには個人の物語が息づいている。食べなくちゃ生きていけないし、ほとんどの子供にとって、食事は与えられるものだから、そこには与えた誰かとの思い出がある。具体的には親だったり、祖父母だったり、食堂の人だったり。

色々な形で人とのつながりを描いている作品だった、なんてまとめ方はただまとめているだけで、きっとそれだけの話じゃない。でも葬式なんていうのは、やっぱりそういう面を象徴していて、死んだ人間の下に集まるのは、その人とつながりがあった人々なんだと思う。

ネタバレとか↓

 

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日記:「ゴーン・ガール」

無関係な話だけど、「この映画(ゴーン・ガール)の感想は男女で分かれるかもしれない」 みたいな意見を見るたびに、すべてがつまらない男と女の二元論に人間が回収されていく、みたいな気持ちになりませんか。俺はなります。まぁこの映画はそういう映画なのかもしれません。

そんなことはさておき、ゴーン・ガールです。

 

あらすじ

ある女性の失踪の物語にして、結婚のお話。

冒頭は、失踪後の物語と夫婦の過去の物語が交互に語られていく。そのうちに、失踪した女性の夫・ダンが妻の血液型すら知らないこと、妻の親友の存在すら知らないことが明らかになる。ほかにもいくつかの事実が、彼らの夫婦関係を描き出し、過激な報道のせいもあってか世論は段々と「彼が妻を殺したのではないか?」という方向へと傾いていく。ダンは妻を殺したのか。夫婦に何があったのか。真相をめぐるサスペンスでありながら、真相が明かされたあともサスペンスであり続ける映画。

映像

オープニングで彼らが住むミズーリ州のとある町のカットが流れる。都会から離れた牧歌的な町。そういう町の何気ない部分を、何気ないまま美しく写し撮る手腕がいい。同じフィンチャー監督のセブンを見たときにも思ったが、映像が洗練されている。しかし、セブンは目を奪われるほど”芸術的な”シーンも多かったが、本作は物語のなかで適切な画が適切に洗練されている。だからこそ、何らかの芸術性を伴う終盤のあるシーンがひときわ象徴的になっている。

(そもそもセブンで芸術的な事件現場は、犯人がそういう趣向だったにすぎないのだから、そりゃそういうシーンは少ないだろうけど)

物語

夫婦の溝、失踪、加熱する報道、容疑者になる夫。新たな事実が、いっそう彼を追い詰めていく。そういうひりひりサスペンスも、もちろん面白い。しかしもっと面白いのは、世間なんか飛び越したところにある夫婦の関係性であり、それをどういう風にとらえるにしろ、そこに本作の面白みが詰まっていると思う。もちろん、その夫婦の関係性を含めてサスペンスなんだけど。

あまり本題ではないけど、夫が妻を殺したのか、殺していないなら妻がどうして失踪したのかという物語であることは知っていたので、パーティで夫が妻に声をかけるシーンや、プロポーズのシーンのめちゃくちゃ気取ったセリフが見ていて、こう、あれだった。

ここからはネタバレです

ブログの構成を2パーセントくらい頑張ってみたけど、ネタバレまでの文字量が無駄に増える上にどこにでもありそうな文章になってしまうね。

 

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日記:「メルカトルかく語りき」「貴族探偵」(ネタバレなし)

ひょんなきっかけから麻耶雄嵩作品を読んでいた。メルカトルかく語りきが、初めての麻耶雄嵩作品で、次に貴族探偵を読んだ。

メルカトルかく語りき (講談社文庫)

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貴族探偵 (集英社文庫)

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知らない人向け:麻耶雄嵩はミステリ作家です。(なんの紹介にもなってない)

この二つの作品は対称的で、メルカトルかく語りきがトリッキーかつアンチミステリとかメタミステリみたいな要素を含んでいる一方、貴族探偵は極めて王道なミステリ作品だと思う。もちろん、貴族探偵は、「推理などという雑事は使用人に任せればいい」と宣う奇特な探偵が主役で、「そんなやつが探偵を名乗っていいのか」みたいなところで、王道のミステリっぽくはない。でも、そういう奇特な要素を掲げながら、トリックや推理が王道をゆくものだからこそ面白い。

そこまでネタバレはしないはず。

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