日記:のけもののいない楽園
けものフレンズというアニメを見ている。
擬人化された動物たちの住む舞台で、人間である主人公が人間であることを自覚しないまま、自分がどんな動物か辿っていく物語だ。旅をしながら一期一会で様々な動物たちと出会い分かれてゆく。ロードムービーのような趣がある。
けものフレンズのOPの歌詞にはこんな一節がある。
「けものはいても のけものはいない」、作品の雰囲気をよくあらわしている。
1話では、できないことがあっても得手不得手があるのだ、ということが象徴的に描かれていた。
そういうところから、多様性の受容、みたいなものを感じる。けものフレンズは全体的に、平和で優しい雰囲気が徹底されている。それは素敵なものに見える。忘れてしまったイノセントな何かに、もう一度触れられるような気がする。
一方、そういうものを欺瞞だと思う自分もいる。
続きを読む日記:「日本の色」という言葉に疑いの目を向けてしまう
和色、伝統色、などで検索すると、いかにも美しい日本語といった感じの色の名前を紹介しているページに行き当たる。
こういうところ → 日本人の美の心!日本の色(伝統色・和色)
濡羽色、なんかが有名だろうか。いかにも風情がある色の語り方だ。
こういうものを見て、素直に、「日本にはたくさんの色があったんだね」と思えない。
まず出典はどこだ、ということが気になる。次にそれがどれほど定着していたか、ということも気になる。
例えば、どこかの歌人が一回そんな風に色を例えたとして、それは有名な1つのフレーズにすぎない。それを、「日本の色」みたいなくくりで紹介するのは、とても不誠実なことだと思う。
なんて難癖をつけたけど、上のサイトは結構そういうかゆいところまで説明がついている。使われ方としてこういうのがオーソドックスだった、とか、この作品名に色の名前が残ってる、とか。
続きを読む